2011年12月28日水曜日

覚悟を決めろよ

もうなんだか、両親も休みに入って、いよいよ年の瀬だと感じるわけですが、
そんな早足で年が明けられちゃ私は困るわけです。
締切あるし。
なんかべつにこれはどうでもいいことなんだよなぁ、とか思いながら、
詰めどころかそこかしこの甘い研究に、どうしようもなく踏みとどまっているのです。
今の段階でかたちにするしかないのだから、覚悟を決めろよ、と言ってはみるものの、
恥ずかしいばかりで、ところどころに立ち止まって、かなしくなって、
もう少し、もう少し、と思ってみても、いまさら手の届くものでもなく、
時間と体力だけが削り取られていくような、日々です。

[2]

恥ずかしい。
一生外に出れない。

2011年12月15日木曜日

ぼえ〜

星をみながらぼんやりしていました。今夜はふたご座流星群だというので、ベランダに出たり入ったりしながら。
この間の月食のときも、みていました。月食は月が暗くなっていく過程をみるので、ずっと対象をみている状態だけれど、流星という対象は一瞬しか現れないので、目を開けて何をみるとでもなくぼんやりしている状態のほうが多いなと思いました。見方が全然違うのだなぁと。

星が、ぽろ、ぽろ、と落ちて、泣いているみたいだなと、ぼんやり思いました。

なぜ夜空をみようと今年は思っているのだろうと、不思議に思います。
周りの人が騒がしく言うようなことにはあまり興味がなく、ちゃんと流星をみられたのは小学生のときに無理に起こされて連れて行かれた以来かもしれません。それは今では連れて行かれてよかったと思っています。
よく聞いたことのない流星群が「今日ある」と知ると、ふと、高校生の時に
「今日は〜流星群があるから明け方まで玄関先で自転車に乗って、門のブロックに頭を乗せてみる」
と話してくれた人のことを思い出します。
その時私は引きました。聞いたこともない流星群を知っていること、それを一晩中みることに。
今思えば、やはりとてもいい人だったように思います。おもしろい人だったと思います。
今会ったら楽しそうだなぁと思いつつ、いまもおもしろい人でいるかはわからないな、と思いました。もうきっと会うことはないだろうと思います。
ただ、もっといろんなおもしろい人にこれからも会いたいなぁとぼんやり思いました。
去年も今年も、おもしろい人にたくさん会えてほんとうに良かった。
来年はどうなるんだろうな、とぼんやり考えながら、星が、ぽろりと落ちていくのをみて、そうやってぼんやりしながら、気がついたら涙が出ていました。

欲が深いのだなと思いました。
月食の時も流星の時も、欲の深い愉しみだと思いました。
佐野洋子さんが『神も仏もありませぬ』のなかで、「着物が欲しいということは洋服よりもとても深い欲らしい」というようなことを書いていらっしゃいました。
着物はいろいろなアイテムがあって、この着物だったらこの帯、だったらこの帯締めで、帯留めで衿はどれが良いかしら...と。そして着るまで。
一瞬の満足を得ようとすることは、現代社会ではかなり容易でしょう。それよりも、時間がかかる、手間がかかる、その次がある、そんな欲望は、とても深いものではないかしら。

世の中で「趣味」と呼ばれているものは、そんな深い欲望がつくっているのかもしれないなと思いながら、宇宙は遠いなぁと思った夜でした。ふん

2011年12月13日火曜日

キャラクターグッズの雑貨屋はだいたいチェックするほうです。

かわいくて使いやすい付箋をつい探してしまう。
シールとか、やたらめったらに貼ったりはしないけど(子どものころそれはあまりよくないと学習した)
やっぱりどこか貼るとこないかなー、かわいいのないかなーと探してしまう。

付箋は、内容とかそのときの気分とかで貼る。あまり柄がうるさいのは好きじゃない。
でもかわいいほうがいい。

ロール付箋は良いけど、持ち運んでいる間に取れてきてしまうのが難点。
というか、付箋って、カバンの中でだいたいバラバラになってるから困る。
この間買ったリラックマの付箋は、ちゃんと台紙を半分に折るとケース状になるつくりで良い。

そうですね、クマは多いです。
できればくまの学校がいいとか、ないとリラックマとか。

先日雑貨屋さんでムーミングッズをみたけど、ミー(?)ってちいさな女の子のキャラクターが結構たくさんグッズになっていた。
そういえば、小さい頃ミーが好きだったな、と忘れていたことを思い出した。
ミーの変なゴム人形みたいなのを持っていた。
みんなのこと大好きでさ、思っていることと反対のこと言っちゃったりするんだったかな。
あれはミーって日本語訳名だけど「Little My」ってグッズにたくさん書いてあったから英語ではそういう名前なんだろう。
「小さな私」

2011年12月9日金曜日

残念な体験

今日、図書館に行ったついでに、前から気になっていた向かいのカフェに入った。
年間10回くらいは前を通りかかることもあるように思うが、なかなか入る気にならないカフェだった。

前はギャラリーになっていて、クラフト作品の展示&販売をしていて、奥がカフェという形で、ギャラリーはおばさんがやっており、カフェは中年の男の人がやっていた。
親子かな?と思った。

二人の方針がきちんと話し合われていない感じがして、空間がうまくまわっていないと感じた。
空間を二つに分けて「ここからこっちはわたし」という運営だった。

このところ行ったことのないカフェなどに行ったりしていて、いつもおいしいなぁ、いいなぁと思っていたから、私にはあまり基準がなくて、だいたい良いって思うのかな、と感じていたけど、「だめなものはだめ」ということがわかった。
お陰で、どういうことを基準にみているか、ということがすこしわかった。

今回ベイクドチーズケーキを食べたのだけれど、これがおいしくなかった。
チーズの風味も広がらないし、甘みもそんなにない。クッキーが敷いてあるタイプだったけど、クッキーも味がない。もったりして胸焼けしそうになった。
対して付いていたアイスは甘すぎる。
残念だった。

個人のカフェでは、どんな本が置いてあるかをついみてしまうけれど、そのセレクトも店長の考えや趣味が行き届いているのが良いな、と思う。
今回行ったところはクラフト系のものと多摩の食事だったかな、そういうのが置いてあったけど、あれはギャラリー側の要請でこういうのがいいだろうって置いている感じがしてよくなかった。
理念ではなく考えなしに単に客におもねった態度は良くないし、バレる。

ギャラリー自体は悪くなかった。

しかし、残念な思いをしたことで、これまで行ったところはこういうところが良かったとか、考えるようになった。
ちゃんと整理してみようかなぁ。

良いと思うものは良いんだなぁ、やはり。

パン屋でチェックするのは、「店の雰囲気や設備」「粉だけでつくるパン」「調理パン」「甘いパン」だな、と思う。
カフェだともっと複雑だけど、そうやって総合的に判断している。

でもやっぱりお店は、人が大切だと感じる。
その場を作っている、動かしている人間が、どういうふうに場のことを考えてまわしているか。
それは繊細なコントロールだと思う。繊細でなくてはいけない。
コントロールしすぎている場所は窮屈だ。

でもたまには残念なのも良い。良いことが鮮明になる。
...そんなことじゃいけないか。わかっていなくては。精進精進