2011年11月19日土曜日

編み物の記憶/視覚と身体の記憶

最近、編み物をしている。
一昨年くらいにいちど、少しやっていたことがあるのだけれど、それほど上達もしないまま
飽きてしまった。
ただ、私には、編み物に対する憧憬に似たような良いイメージがあった。
そして、今年、再び編み物をしたくなった。

母は今でこそやらないが、かつてはよく編み物をしていたそうだ。
実際、裁縫箱の中にやたらかぎ針が入っていたりする。
そのことは知識として知っていたが、私の記憶には母が編み物をしていたという覚えはなく、どんなものを作っていたかも覚えていなかった。
たしか中学生くらいのときに、母が編み物をできると知って驚いたような記憶がある。

ただ私の中には、上達した人の慣れた棒針の動きは美しく感じ、好きだ、という漠然としたイメージがあった。
そのイメージを追いかけて、私は編み物をしたいと思うのだと、感じていた。

今はひたすら縄編みをしている。
特別つっかかることもなく、少し無意識になったりするくらいには編めるようになっている。
そうすると動きは無駄なくなってきて、す、と当たり前のように知っているかのように動くときがある。
それで、思い出した。
これは、母の動きだと。
私は、確かに、みていた。母が編み物をするのを。
少しずつ、記憶が再生されるのを感じた。
一段編み終わった後、針を変える時のやりかたや、編んだ目をとる時の動作とか。

表に編んでいる時のほうが針が速く動いておもしろかったり、糸が針のおしりの方にくるくるからまっていったりとかする様子を、私はみていた。
この間、一つ思い出したのは、「なんでこっちの方が遅いの」と聞いたことがあるということ。
多分、メリヤス編みで一段ずつ表、裏、表、裏、と編んでいて、裏に編む方が少し時間がかかるから、そういうことを言ったんだろう。
表は「さっさっさっ」って感じで、それも良かったけれど、確か裏のときは「さっささ、さっささ、」とかリズミカルで好きだったような気がする。これは今書いていて思い出したことだけれど。

私はみていた。やったことはない。
それでも遠い記憶の体の動きを勝手にミラーリングしていたような状態にあって、
体がその記憶に近づいたとき、他の記憶も甦ってきた。おもしろい体験だった。
こういうことは、料理にもあるけれど、いまでも母はたまに料理くらいはするし、ちゃんと記憶にあって知っていることだから、と思っていた。もちろんふとやった動作が昔みたあれだ、と気付いて驚くことなんてよくあるが。

みていて覚えるようにできている。
ある意味刷り込まれている。

まさか約20年前の、物心着かない自分の、忘れ去っていた記憶にふれられるなんて、思っていなかった。それも頭からでなく体から。

よい体をもったお母さんになりたい。
お父さんも、よい体をもった人であってほしい。

...なんて憧れを自分がもっているなんて、あらわになると恥ずかしいな、やっぱり。

今だっていい人にかこまれていた方がいいに決まっている。
職人の修行に大人になってから入った人より、職人の子どもの方が修行を始めた年齢が同じでも良くできるとか、そういうのってあるんだろうね。

あれはあのときのあれ。

2011年11月16日水曜日

書く。

論文は、わたしの言葉のはずなのに、言葉まで気遣うことができなくて、
考えのあらかたはわたしのものであるように書けているのに、
言葉はほとんどずっとわたしのものではないよう。
なぜ、そんなに、むりやりにと思う。
それでもほんとうにほんとうに、苦しくつらいものをやらなければと思えるのは、
立ち向かっているのは、すべて、
寝食程度のことと編み物ばかりをして、ちいさくちいさく生活することができる、
この幸せな状況のお陰で、
わたしは、どうしようもない。

それでもこの先ほとんど、そういう小さい生活もめちゃめちゃなリズムにするくらいの、
書くモードに、入っていく。
入っていける。