2010年12月26日日曜日

日々わさわさしている

なんかかんかで、わーわーと日々が過ぎていってしまうのは、ちょっと、あー、もったいないなぁって、思う。
でも、ちょっと振り返ってみると、少しずつ、降り積もって出来上がってきたものってのもあるみたいで、ああ、良かった、って思うのだけれど。

それで、ちょっと、振り返ってみようと思う。

12/13(月)
この日は、西荻窪の銭湯でイベントがあった。
遅刻して半分みれなかったけど、よかった。
この日、いろんなところのいろんな人に会えて、なんかいままでが繋がってる感じと、これからが繋がっていく感じがした。
銭湯の後、突然、高校の時からの友達から連絡があって、カラオケ行っておしゃべりしたのとかも、すごく、アートのことだけじゃなくて、それぞれの人生について、全体が繋がっている感じがして、良かった。

12/14(火)
この日は学校にいて、夕方からの予定が急になくなったから、図書館に。本当に、修論経過報告レポートは切羽つまっているのだけど、ぜんぜん掴めない。
掴めなくて、本、本、これかも、これかも、と全身をそばだてて本を探す。
まぁまぁの収穫かな。

12/15(水)
東京駅の方で授業。この日は担当になってたのと、一人、良く喋る子が休みだったのもあって、たくさん喋ることになった。しかし、ちょっと、先生とは噛み合ないな、という感じがした。私は、ただ、ああいう研究者みたいにはならないだろうな、と思ったり。
どうやって、を示しているとしても、「誰が」がすっぽり抜け落ちている気がした。
しかもその「誰」というのは、ひとりではない。実践するのは一人では意味がない。
だから、本に書いてあるようなことをひとりがわかったところで意味がない。
ひとりひとりが共有し、しかも、ひとりひとりがその通りやりたいわけではないだろうし、そのなかで、それぞれの方向で、うまくやるとか、そういうためにはどうしたらいいか、考えなきゃいけない。ひとりひとりの考え方から変えていくことだったり、すると思うのだけれど。
それで学生のレベルが下がってる、とか、言ってる場合じゃないと思う。
私の頭が悪いのとか無知なのは別に否定しないけど。

それからそのあと、ふぁうんど研のミーティングがあった。
その前に岸井さんが米光さんとミーティングしているのを横で聞いていて、楽しかった。
米光さん、面白い。好き。手がきれいだった。笑
岸井さん羽鳥くんとミーティングで、私は、結構、この日はぼーっとしてた。
途中で、しのづかさんから電話かかってきて、おもしろかった。
しのづかさんは岸井さんと話してテンション上がってたなぁ。良かった。
でも私はこの日はぼーっとしてたな。あんまり寝てなかったし、食べてなかったからかな。
でも、神経はすごい遠くまで行っていたと思う。

12/17(金)
この日は聖良ちゃんと経済の勉強会をやるにあたって、小手川さんとの準備会だった。
遅刻した。。orz
秋葉原って結構遠いんだなぁと毎回思う。新宿くらいのノリで行くとよくない。
ぐるっこでかんむりちゃんや同居人のアーティストの子も交えつつ、それぞれの興味の話をして、これから楽しみな会になりそう。村上さん誘い損ねたのが残念だったけど。
せいらちゃんは、秋葉原の取材が岸井さんやJOUさんと入っていたらしいけど、逆に二人がぐるっこにやってきた!さらにたつきさんも!みんな大集合でわーい!だった。
そのあと岸井さんとせいらちゃんの打ち合わせに急遽参加。ふふふ。
それから少し、聖良ちゃんとふらふらおしゃべりる。
で、はとりくんを待つ。
(聖良ちゃんの助言(笑)もあって、ああ、私、なにやってんだろう。とか思う。)
話せて良かったと思う。ああ、そう、そうね。
私は、こうしてるのが、好きなんだと思う。
たいへん。

12/18(土)
東京の条件12月総会。前日も秋葉原だったから、あまり遅れずに着いた。よかった。
楽しかったな。気まぐれに結構つぶやいた。
終わった後みんなで中華だったけど、冠ちゃんがしゃっきしゃっき動いてておもしろかった。
篠塚さんの話も、ね、いろいろ考えなきゃだわ。久々に話せて良かった。わりと元気そうだったし。
あまり話せなかったけど、鳥越さん、素敵な人だと思う。
帰り、電車で須田さんと喋ったのは、良かったと思う。
なぜか、お水をいらないと言った田口さんが頭に残っていて、田口さんのことが好きだなと思う。
イシワタさんともうちょっと話したかったな。あとたぶん、茂木さんももう少ししたら、話したい。
森くんは、法政のキャリアの子達とか、先生とかに紹介したいと思ったけど、岸井さんが懸念していたことがやはり気になる。
ともあれ、とりあえず、諸々先生とは話に行かなきゃなぁと思っている。

12/19(日)
シャトーマルゴーのミーティングがあった、、遅刻。。orz
しかもこの日、シャトーでは浅井さんのワークショップだった。忘れてたうっかりさん。
マルゴーは来年も入れるようで、良かったー。
パフォーマンスとか、気になるは気になるけど、うん。
とりあえず、聖良ちゃんは次回、でることになって、あーよかったなーと、これはほんとにね、思うわけです。
そして、マルゴーのチラシ配りに皆で外へ。
それぞれ、店の感じと合った人をみてのチラシ配りに「なるほどー」と思う。
いや、これはほんとびっくり。
あとなんか全員ちょっとふわっとしてた。笑
楽しかったー

このあと、聖良ちゃんの展示をみに原宿へ。
展示、なかなか良かったです。実験っぽい感じはあったけど、批評ってどうだろうね、っていう感じとか、わかった。まぁでも、美術の文脈は聖良ちゃんだけで、グループ展では浮いてた 笑
時間がなかったから手で書くことになったっていうスコアの部分が、聖良ちゃんが手で作ったものはほぼないなかで、美術な感じがすごくした。ポートフォリオよかった。
展示を知らない状態で聞いたら(それは無理だけど)どんな風に感じるのかなーと思った。
ただ展示よりもものすごく皆の「秋葉原」イメージが浮かぶように感じた。「秋葉原がじわっ」という。

展示撤収まで、カフェで話とかしてて、一緒に展示をしていた人の知り合いのムサビの女の子がいたんだけど、私と同じ感じで迷ってて、面白かった。
「どこにむかって、なにがしたいのかわらかない」とか「わたし言い方キツいからー」とか「二番目が良いんですよ」とか、全部一度は口にしたことあるフレーズで笑った。
彼女の話をじっくり聞けて良かったと思う。それで、なにができたのか、なんのためになったのか、わからないけど、こういうことが私のやるべきことのひとつだと思う。
撤収が終わるまでだらだらしてて、展示のみなさんのぷち打ち上げにおじゃました。
ふふふ。

12/22(水)
前日にツイッターでマッカリのイベントを知り、行くことに。
坂上さんと臼井くんの卒論中間報告会。
私も、修論の中間報告レポートが書けずにぐずぐずしているので、刺激を受けにいこうと思い、出かける。
ふたりの発表は、とてもおもしろかった。
ベースとなる先行研究があまりないだろうことをしているのはとてもいいなぁと思う。
やっぱりやるなら、あたらしい世界に向かっていくのでなければ、ね。
臼井くんのフィールドワークの記録はすごかった。すさまじい。勉強になったなぁ。
そして、臼井くんのお兄さんが高校の同級生ということが判明 笑 地元w
帰ってアルバム確認したら確かにいたけど、全く接点はなかった模様。
でもおもしろい。
プロジェクトで関わってたお店が、高校からの帰り道につい寄っちゃうとことかあってびっくりした。
ちょっとしたことでうれしい。

玲ちゃんの空間でものを考えるところが、私と一緒で、興味深かった。
これはまだまだ考えたいこと。

あと、この日は4人しかいなかったのに、玲ちゃん坂上さん二人とも5人いると思ってたのが謎だった 笑

12/23(木・祝)
横浜に行く。当初決まっていた予定は、「茶遊びに行く」と「高須賀さんにエヴァを返す」というもので、あと、タマビの映像演劇科の卒展がやってるらしいから、天ちゃんみれたらみたいなーくらいな感じだった。
約束はしてなかったけどせいらちゃんが小手川さんなんかやってるらしいといって、行こうかという感じになり、結局、横浜で落ち合うことに。
それで、最初にBankArt へ。天ちゃんにも会えて、良かった。
せいらちゃんが興味津々で面白かった 笑
展示、私は好きな感じだったなぁ。
インフォメーションでは、せいらちゃんがマルゴーのチラシを置いてもらうのに成功。シャトーのはなしをしたら、受付の人が大川さんを知っていた。謎。 笑 面白すぎる。
それからようやく黄金町へ。
初めてOVAさんたちに会えた。
茶遊びも初めてで、なるほどだった。
小手川さんの初心者経済学講座、おもしろかった。
茂木さん来てた。考えさせられるな。
高須賀さんにも会えて、漫画を渡せた。
皆はこのあと銭湯に行くとのこと。
高須賀さんはまだもうひとり人と待ち合わせという。
帰りがけに高須賀さんと話したら、待ち合わせているひとがなんとせいらちゃんの知り合い!
おおー。楽しくなってきたねー
皆で近くのnitehi worksというところで軽く一杯。
出口のみえない話だとしても、とても大切な会話だと思う。

せいらちゃんと帰りながら、なんとなくこの一年を振り返っていた。
「この一年、成長した」って。
うん。
がんばっていこう。

12/24(金)
迷ってたけど、アートランドに行くことにした。
川染さんをみたかったのと、田口さんが出るって話だったので、気になっていて、シャトーの子達が行くという情報をツイッターでキャッチしたので、行くことにした。
大木さんの映像に若干酔った 笑
川染さんはなるほどこういう感じなのかーと思う。マンガみたいだったよ 笑
なにせ服がよかったね。うん。あと、とめがねぱらぱら。「この日のために書き下ろした...」ってくだりもなかなかかな。
幸せの靴さん、普通におもしろかった。ちゃんと面白いお話をやってて逆におお!って感じ 笑
美脚。
田口さんは、ミニスカートで赤いタイツ、ペタ靴でビールをもって、いちばん最初になにも知らせずしばらく立っているところが、すごくよかった。それでよかった。
直方平さんとも会えたー。

クリスマスとかしらないよ。

2010年12月13日月曜日

色の思い出

延々と、遠回り。
高層ビル、忙しなく、倒れて。
今日もここに。
喜べないなら、嘘を言って。
嫌い。来て。

明日の、この場所に、いるの。
鳥。
知らない知らない。
誰。
、重い。
煌々と、照らされている、頬に。
髪。
知らない。
行けない、声。

きぃん

きぃん

こどもの呼吸
眠り。
ゆうべはシチュウを食べたのだった。

2010年12月12日日曜日

実験ツイートまとめ

12/8
最後、あなたが、さいご、言って、そのことだけ、忘れていない。でも、そういう、あなたの、そういうふうな、夢、そうは、言っていない。

12/10
いつものとおり、想像できずに、遠くの景色を、耳があって、喜ばずに、ただ、実に美しい、政治的思惑の中で、じっと佇んでいるのは、どうしようもなく、手を、返して。帰れない。

12/11
嘘を言って、どうにもならない、とばっちりばかりを、チョコレート、品川まで。呼んでないよ、よんでないよ、ココア、そろそろ気付いて、雨さえ降っていない。

あなたがそう言った。ただ夢のように。いつもいつも、わからないばかりで、何も言えずにいたのに、そうやって追いつめられていくばかりの闇を知るはずもなく、ただこうしていて。なにも、応えてはくれないけれど、言葉が氾濫していた。ただ、その時みたいに。

梅、急におもしろくもない、算段だけ、冷たい空気に圧されて、昨日のことをわかりもせずに、あれはね、あれはね、と、曇り空を指している。もう、どこにもいかない。そうして、どこにもいかない。

名前を思い出せない。この先、出会えるかもわからないのに、枯葉を思い出のように、扱うのは、光が金色をしているせいでしょう。ゴムボール、音を止めて、でこぼこした三輪車、ひざを擦りむいた。

物語を捨てて、飛べない鳥のために、車を、歌を、死なない程度に寝そべって、川に忍び込む、いらないいらない、君の肌。

沿道、困ったな、また海に、みえない、星?、耳の裏、くださいな、本当。言って言って、ここにいるわ、焼けそう、白い、ざらり、ざらり、ざらり。

今日、病、方々、一人でも大丈夫、愛しているさ、困難、いつでも、落ちてくる、線形の空。ひよこ。私に、メイド姿の、にらみつけないで、空、抑えて、黙っていて。


2010年12月9日木曜日

昨日、やっぱり悲しかったから

ショックだった。
思ったよりも、そうだったのだろう。

見捨てないで。
見捨てない、と信じているけれど、そう思ってしまった。

悲しくなってしまった。

東京は、悲しい。

私はここに、いたい。
ここを捨ててどこかへ行くことは、大切な人たちの人生を、その先の世代を、みないようにすることだと思うから。

ただ、私にここ以外の生活が、実感できないのも事実だ。
比較とかじゃない、私には、生まれ育った場所で展開している人生達だけがみえているというだけのことかもしれない。

友達の多くが団地やマンションに住んでいる。
戸建ては似たような新築。

問題は、もしかしたら、ずっと東京にいる人ではない人たちが一緒にみている「東京」という夢かもしれない。
東京のような生き方。

私の親戚たちが、わりと近くに住んでいるのは、そういう「東京」に呑まれてしまわないように、助け合うためかもしれない。
地縁が、信じられるほど強くない分、血縁は繋いでおこうとする気持ちか。

私はいま、祖母がひとりしかいない。
祖父は小2、小4(?)ころに他界。二人とも癌。病院で亡くなっている。
祖母は大学2年のころに他界。胃ガン。病院で亡くなっている。

生きている祖母は、伯父の家族と同居しているが、とても元気で、遠い親戚の看病をしにいったり合唱団にいったりと忙しくしている。

ああ、そうか、誰も確かにほとんど介護などが必要なく、困っていなかった、けれど、やっぱり親戚のなかで、誰かが引き受けて、ずっと一緒にいるように、していたのだろう。
そうやって、助け合うことができるような関係づくりがしてあったんだろう。

「その家族が困るだけ」

それができる家族はいい。
ただ、そういう実際に起こる問題だけじゃなくて、その根底に潜む都会の人たちの考え方や心理、それを植え付けているなにかのイデオロギーがある。それが私は怖い。

姉は平気で言う。
「お金は出す」と。

本気でそう、思っているかはわからない。
でも姉ならやりかねないと、思う。

私はお金も出せないし、なにも、言えないのだけれど。

父方の親戚たちが、心に余裕があって、人に手をかしたり、祖母が遠い親戚の看病に行けたりするのも、やっぱり、お金に余裕があったから、なんだろうなぁ。

でも本当は、なにがなくても人のことを思いやって生きていたいと思うのだけど。そういう人たちだと、思うのだけれど。

社会はそう、なっていないよね。たぶん。

2010年12月6日月曜日

。。

「それは消えないよ」
「それは橘花さんだけ、だけかわかんないけど、だよー」
「ことばをいきおいとしてつかいたい」
「ファンタジー(私が)」

最近聞いた、気になることばたち。


書いてみた

避難のこと。

私がまわったのは、
原宿、池袋、目黒、田端、大塚、新宿、代々木、神田、品川、という感じ。

他のところのウワサもいろいろ聞きましたが。
あと、連れて行ってもらっちゃったので、(御徒町)という感じ。
ホームレス礼拝は行っていないので、みたものは違うでしょう。

F/Tでつぶやかれてた高山さんのお話で、
宗教とコミュニティと民間宗教のようなものをテーマにしているということを目にしたような気がします。

確かに、コミュニティまんまなスペースとか、まんま宗教施設とか、占いとかスピリチュアルとか、まんまでした。

全部みたわけじゃないし、どうだとも言い難いですが、
私がみたかぎり、そうでした。

で、神田では、たくさんの避難民達に会って、その共有されている感によって、つながりあっている人たちがコミュニティっぽいものをつくっていた。
一番初めから感じていたのは、踊らされている感じ。
「RPGみたい」という感想をちょこちょこ耳にしましたが、まさにそうなのだと思う。
確かに、フラグが立って、目的地到着、クリアみたいな感じがあるっていうことを指していっているんだと思うし、そういう面白みはあった。
だけど同時に、自分にコントローラーをつけられていて、誰かによって動かされている、操作されているような感覚が、否めなかった。
途中、本当に「なんでこんなことさせられなきゃいけないんだ」と思った。
やらなきゃいいんだけど 笑
でも、なにか面白そうだ、と思ってやらされている自分がいて、それがなんか違和感を生んでたと思う。

宗教の扱い方はもう少し考えたほうがいいと思った。
つくっている方がどう考えてるのかわからなかったぶん、なんともいえない、つまり、私たちが感じたように感じて考えろみたいなつくりなのだと思ったけれど、それによって何も言えない状態になってる気がした。
スペースに踏み入って行くこと、そういうものを身勝手に人に突きつけること、宗教を俯瞰しているような立場をとっている、あるいは中庸のような立場をとっていること、などが、とても暴力的に感じた。
自覚的でない、関係のない人たちを巻き込むやり方をする人たちにとって、「利用している」という状態にならないようにすることは、いつも課題になっているとは思う。
どうバランスをとるか、考えているだろう、とは思う。

神田で、この「避難」ということ自体が、宗教のようなコミュニティを形作るものになっていると感じた。
これは、本当にすごいと思った。しかし、こんなやり方は、私は嫌だと思った。
人に、結局なにも気付かせないのは、ずるいし、身勝手だと。
ひねくれてるのかな。

宗教は強いから、観客へのフォローだって必要じゃないかなぁ。
というか、きっとそういう意味で敏感な人は避難にはあまりハマらなかったかもしれない。
ある種、図々しくなかったら参加できない気がするし、いちいち微細に感じ取っていたら身が持たない気がする。
まぁ、そういうものの処理がうまい人たちなのかもしれないけど。

全体として、とても面白かったけど、
作り手の身勝手さを感じた、というところです。

アーティストなんて身勝手なものだ、という考えもあると思うし、身勝手さが悪いとも思わないけれど、身勝手を身勝手でよしとしない、それをどうにかしてバランスをとろうとしている人たちが私は好きだなぁ。

portBはどうだったんだろう。
そこでも頑張ってたのかなぁ。わからない。

先述した、避難全体で「踊らされてる」感じは、扱われてた村上春樹の小説にも感じていたことで、すごく似ていると思った。
村上春樹の小説は、おもしろくて「読まされてしまう」という感じ。
それが私は嫌いで嫌いで、村上春樹が出てきた時はもう、テンション下がったわー 笑
でもちょっと、読んでみようという気にはなった。
というより、読んでおこう、かな。

やっぱり、ひねくれてるのかしらね。

2010年11月29日月曜日

昨日今日

昨日は過剰な日だった。
11:40 大塚避難 楽しかった。
12:30-13:30 大塚→池袋 歩いていく。
13:30-14:00 スタバ&ジュンク
14:30 神村恵「飛び地」
会場前で鈴木さんに会った。
飛び地、とても良かった。トチアキさん、初めてみたのですが、良かった。
私の気になってることとも繋がってて、いろいろ考えた。
神村さんが上手の方で台の前に座っているあたりが好きだった。
あと、はじまりかた、よかったな。
終了後、やまださん、せいらちゃん、にゃんちゅうさん、みやざきさんに会う。

16:30頃? 新宿避難 本を忘れ、うろうろ。本屋にて調べる。せいらちゃんと一緒。
19:00頃? 代々木避難 せいらちゃんは神田へ。宇野千代がおじちゃんにヒットした。
21:30頃? 神田避難 避難民であふれかえっている。見知った顔もちらほら。幻想のコミュニティ。

2:00前? 帰宅。疲労。
3:00頃 就寝。やらなきゃいけないことあるのに。。。。

今日
12:00過ぎ 起床。
昨日の体験が過剰だったので起きられないだろうと予想していたがやはり無理だった。
高田馬場避難できず。さらに千石空房にも行けず。ごめんなさい。。けのびはともかく、,5みてみたかったな。千石空房にも行ってみたかったし。
うう、、スケジュール、選択、体力、健康。もろもろだめすぎる。

14:55 品川避難 15分遅刻申し訳なかった。私は「細かい」らしい。
15:15-15:50頃? せいらちゃんと軽く話す

17:00 マッカリ 「ベネフィッツ」の会 勝手にどうにかなってくれればいいが。。笑
しかし、意外といっちゃん&みえは良い組み合わせかも。そのままじゃあれだけど
マッカリカレー、美味しかった!!胃を悪くしている私でしたが、ダイコンとか入ってて、そんなに重たくなくて食べられた。よかったー
トマトそうめんもなかなかでした。

20:10-20:30頃? 岸井さんと話す
久しぶりの岸井さん、おつかれの様子でした。高校の時の通学路をちょっと通った。

20:30-21:00 ベネフィッツ駅前撮影会 30分だけみて帰る。増井さんがいるから安心?と思いつつ。

いつもよりは早く帰宅、やらなきゃいけないことをやろうやろうとして今に至る。
がんばる。

2010年11月22日月曜日

今日の流れ

今日の過剰な体験を、ながす。
①目黒避難(目黒駅10:00待ち合わせ)
10:00過ぎに家を出る。10:30は過ぎる、と連絡するも、着いたのは11:30前。
いろいろと、驚かれる。(当たり前)
地図も準備していない。(勝手に人任せ)
目黒の避難所で本を手に入れる。まだ5冊あった。

②御徒町に行く
都合で御徒町に行く。納得した。

③秋葉原を抜けて、武蔵小金井へ行く
お昼は武蔵小金井で食べよう。
カレーのプーさん、満席。broom&bloomへ。
私、食べるの遅い。ぎりぎりまで食べる。

武蔵小金井駅から歩いていく途中で本当に偶然に、前の大学のゼミの後輩に会う。
彼氏が武蔵小金井に住んでいるのだそう。おどろいた。

④シャトーへ行く(15:00-)
ぎりぎりで、15:00-のシャトーパフォーマンスアートマルゴー2「継続が同時」を観にいく。
二時間パフォーマンスし続けていた。
自由に観る。カフェで話したり、外から観たりしていた。
面倒な電話がかかってくる。出て、スルー。

⑤田端避難
田端に避難へ向かう。若い。なるほど。
イベントにはあまり興味がなく、お金もなく、離脱。
避難民は気になった。
総会に来てた人が、「総会」と認識していなかったのがちょっと面白かった。
ホスピタリティに関する技術を思う。(ホテルとかのことでなく)

⑥話す
驚き。発見。納得。説明。不明。笑い。
どうしたい。こうしたい。ああしたい。のかな。のかな。
うん。うん。うん。


私はくま好きじゃない。

2010年11月19日金曜日

どこに、どうやって立っているか。

きのう、授業で、「日本のダンスは幼稚化してる」んじゃないか、と言われて、
私は、そういうのわからないから、わからないと言っておいたんだけど、
なんかこう、腑に落ちないっていうか、納得いかない感じがしていて、
それはなんだろなーって、考えてた。

そもそも、先生は、何をみて、そのどんなところをそう思ったのか、わからなかった。
しかし、それを聞いたところで、私にはわからないし、そうなんだーとしか言いようがない。
私がみてきたものから判断してどうか、だとしても、それは問題ではない気がして、一部ではあるんだけど、そういう評価は違う気がして、その場では、応えられなかった。

「バレエとか、ダンスの基礎とか、そういうものが(海外と比べて?)ちゃんとしていないと思う」だそう。
私自身、そんなに海外とか、まーヨーロッパとか?そういうところのダンスをよく知らない、みたことないっていうのもあるんだと思う。
でも、なんかそうやって比較して、優劣っていうか、そこでの優劣って違うんじゃないかなって思って。
いや、それは多分私の価値観なのかもしれないんだけど。

「「鍛えられた権威的な身体」に対して「だらしない身体」を撮影するという作品もあったけど、それを越えた今、そういう鍛錬されていない体での表現はどうなのか」、とかいう話もでたけど、なんかそういうことじゃないなーと思って。

「権威的」っていうのは、そういう体系を踏まえてそうじゃなきゃダメ!っていう態度がそうさせてると思う。もちろんそれに対する批判的な態度を表すのもおもしろいとおもうけど、そうじゃなくて。

たぶん、あまりにクリティカルなものにも抵抗があるんだと思う。
そういう態度が好きじゃないのかなぁ。

じゃぁなにがいいんさーとか思ったり。。

でも、ちょっと思ったのは、「幼稚化してる」んじゃなくて、無意識でも意識的でも、大人になるのを「拒否してる」んじゃないのかなって思った。

そういう「大人」ならならないよ、なれないし、なりたくもないよ、って。

でも、私たちも「大人」だよって。

まぁ私はなーんにもわかってないんだけど、そういう言い方って違うなって思ったのには何か思うところがあるんだろうなーとは感じていて。
私は、いったい、どういう視点で、ものをみているのか。

だって多分こういうことは、ダンスの話じゃなくても、いいはずで。

「こうじゃなきゃだめ!」ってのに抵抗があるんだろうねぇ。

でも、身体って興味あるなぁ。
わかる全ての感覚に興味があるな。
どこまでいけるか、感じられるのか。
そういう意味で、手塚さんの中央線インストラクションとか、すごくいい体験だったな。
気になる、体験だった。
どこかへ、いってしまう、とか、身体が交換される感じとか、集中することで、どこかが鋭敏になってどこかは全然感じなくなるとか。
うん。

あした、シャトーで世界装置の「おひさまとかいぶつ」をみる。

2010年11月16日火曜日

結構

いろいろ、思い出していたのは、忘れないようにという警告だろう。
私は、今の生活にどっぷり浸かってしまっているし、それはとてもうれしく、良いことだと感じている。
しかし、何を、やりたいか、ということは、変わっていない。
というか、それをもとに発展したはずなので、
その問題意識のようなものが、なにか、と考えると、やはり、
これまで私がみてきたものの中に、なにかがあるはず。

いま、まわりにいる人たちは、ある程度、自分のやりたいようにやれているな、そういう方向に自分で行こうとしているな、と思うので、それでいいと思う。
そうじゃない人のことを、考えたくて、
そうじゃない人が、今、どうなっているかも考えたくて、
それで、かつてのことがたくさん思い出されていたのだろう。

わすれるな、わすれるな、と言われている。

ただ、そのときの私にひっぱられて、今を正しくみれなくなってはいけない。

吸い込む量と吐く量とは均等に。

そのころに如実に感じていたことを忘れてしまって歩いていっても、なにもないだろう。
納得がいかないだろう。
でも、囚われずに。
大事なことを、見つけるだけでいい、あるか、ないか(あるんだけど)を知るだけでいい。
いい。

2010年11月13日土曜日

・・・・・・・・・・

なにかを願ったり、なにかを祈ったりして、
ただ、そういうもののようにあって、
そのままでいれて。
そのとき、あなたのひとりきりの眠りを思う。

ただそこに、可能性だけをのこして。

じわり、じわりと近づく。
黙ったまま、その傍らに、横たわる。

すぅっと。
すべりだす。

意識。
呼吸と鼓動を感じる。
その体温を感じる。
血液が走るのを知る。

ただ、夢を遠くに信じて。
離れていく。
ここにいる。

目を開いて。あなたはなにを見るの。
光を受けて。なにが聞こえているの。
黙って。

黙って。

2010年11月6日土曜日

すこしの魔法があった日

今日は、いつもとちがう人にたくさん会えて楽しかった。
好きな人ばかりでうれしい。
新宿で岸井さんと打ち合わせ。私が遅刻して時間が減った。。こういうことしちゃいけないなぁ。はぁ。
そのあと鬼王神社で住み開きシンポジウムの準備をちょっとお手伝い。
宮司さんおもしろいひとだった。
すごく、いいところだった。
シンとした空気が5mくらい上にあった。
歌舞伎町。
中年くらいのお母様がお参りはしなくても、鳥居の前から一礼していくのをみた。

社務所はとても懐かしい場所だった。

アサダさん、寅雄さん、手塚さん、きりんちゃん、集合。
でも私は次の予定へ。お話が聞けなくて残念。。

聖良ちゃんと反省会。のはずが、3331のmediActionsのフェーウェルパーティーへ。
着くと、展示の中でシャルルさん、GOGOさん、村上さんがライブしてた。
終わりのとこしか聞けなかったのが本当に残念。

展示、とても素敵に仕上がっていた。
作家の作品展示もそうだが、
WSの展示からは、何か凄まじいエネルギーが詰まっているように感じられた。
actionだからだろう。

ティーパーティーの写真にリアルシャアとかがいて聖良ちゃんと驚いてた 笑

展示は13日まで。

地下でパーティーに参加。アジア系の料理がとてもおいしかった。
エマさんの手作り。ベジタリアンなのだそう。
山岡さんと聖良ちゃんと話す。
やり方やアプローチが全然違うんだけど、ちょっと反抗的なところがふたりともあって面白い。

村上さんとも結構話した。せいらちゃんは村上さんのお姉さんとお友達だそうで、宮下公園のときに村上さんのことは知ってたらしい。
二人の会話、面白かった。経済に興味が、ね!笑
皆なんとなくちょっと繋がっている。
その外側に集まる人たちに、少し興味がある。
今回のイベントでは、シャトーとか東京の条件とかとはやっぱり少し違う人たちが集まっていた。
インターナショナルの要素に惹かれてきている人とか、ジェンダーの要素に惹かれてきた人、パフォーマンスに惹かれてきた人、とかとか。
不思議。

村上さんと聖良ちゃんと話しながら秋葉原まで歩いたけど、持ち物も、やることも、歩き方も、全然違うのに、同じところに立っているから面白いな、と思った。
私も多分、きっと、ほとんど同じところに立ってるんだろう。
自分の場所は良くわからないのだけれど。
三者三様。

まぁ知ったこっちゃないか。

2010年11月1日月曜日

だまっていてもわかること

まるで、違う世界の出来事のようにいて、それをそう感じてしまっている自分たちを、
すこし、近づけよう、でも、どうやって?という想いが、くるりくるりと反転しながら行き交っている。
お互いに、ただ少し動かなかっただけで、空気にしみ出ているものからそうだとわかる。
そこに起きている出来事と、そのとき私たちは、違う次元に存在したはずだ。
あるいは、その感情やわかっていることのやり取りだけが、違う次元で飛び交ったはずだ。
そこへは触れられない。
こうやって話していても、考えていても、決して交わることのないところ。
わかっている。ただ、わかっているはずなのだと、思うだけで。
そのほんの数秒、そのお互いのイメージたちだけが、そこに一瞬触れただろう。
その層を創り出し、触れ、消えた。
私たちが知覚できるかできないかの間に。

2010年10月28日木曜日

橙と影

私の拙さが、だれかを、傷つけていて、誰かのことを思うとき、私はひとりで寝たきり。

考えるのは、遠く、近く、あなたが私を呼んでくれていること。

目を閉じたまま、知っているのは、あなたがこの内側に、外側に、その向こう側に、居てくれているということ。

夢のように。ただ、夢のように、わかっている。

私は勢いを増していく凶暴な感情を武器に、決して動かない。
ひとりぼっちではなくて。このなか身はただの空洞。

様相を、じっと、黙って、聴いていて、気付くのは、路地の隙間に影を落とした扉の、向こうには行けないということ。

さぁ、泣きましょう。
あなたもわたしも、だれもみつけてくれない。

みつけられない。

2010年10月27日水曜日

目をつむる

今日はひきこもっていました。
久しぶりのひきこもりで、だいぶ元気が出ました。
お休みをもらいました。(勝手に)

昨日、結構疲れたみたいで、あと、風邪も引きそうで、いろいろままならなくて。

部屋に掃除機をかけました。
床にぞうきんをかけました。
洗濯を二回しました。

夕方の教育テレビでほっとしました。

るーちゃんときーちゃんと一緒にだららん。
3人でいると、わたしも猫だったんだと思う。
そんなに、美しくはないのだけど。

ねこの眠り

なにも拾わない、なにも捨てない。

2010年10月22日金曜日

自分のために

今日は、寝坊して、予定通りにはいかなかったけど、おだやかな日になった。
うんざりせずに、これから頑張らないといけない。

津田塾でフライヤーの打ち合わせ。ありがとう。
津田塾には本当に女子学生しかいなくって、でも、別に普通だから、世の中に若い男というものがいるのが疑わしくなるくらいだ。
小汚いムサビにくらべて、なんだか校内きれいだった。

今日もちょっと遅刻してしまって、、反省。。
電車のなかでツイッタみたら天ちゃんが「時間止めるアプリないかな」ってつぶやいてて、めっちゃほしいって思った。(←でも自分の時間も止まっちゃうんだって。。)

打ち合わせ終えて、帰り、思いつきで美容院行こうと思って、電話。
運良く空いてたので、美容院へ。
頭、軽くなったー
束ねたときの直径が5mmは減ったと思う。
よかったよかった。

美容院をでて、たえちゃんから電話が入ってたから、電話。
先輩のプレゼント探し中で、お店聞かれたけど知らず。

そこから思いつきで、なんとなく足が向かったので、中学の同級生がやってるバーへ。
ベーコンの黒胡椒焼きとソルティドッグ。
ひとりで。
落ち着いた。

駅前でパンを買って、コンビニでお菓子を買って。

明日から、いや、いまから、
がんばろう。

2010年10月19日火曜日

わからない

どうしても、どうしても、
どこかへ向かっていくようで、わたしはそれを掴めずにいる。

わたしというものが、動いていって、間違いなく求める方へ向かっていっているようなのだけれど、
それを、私は、はっきりとはわからない。
わからない私が不安を感じている。

考える私はわかりたがる。
わたしというものは、わかるわからないでなく、こうだからこうなのだという。

なぜなの。
それは、なぜなの。

私は疑問を投げかけてばかり。
理解できない。

そんなのは無視して、わたしってやつがどんどん先へ行く。
そんなことは知らずに誰かが、私をどんどん先へやる。

ああすこし私はおいてけぼりだから、もうすこし待っていて下さい。

2010年10月15日金曜日

わたしを探る

どうしても、そういうふうに考えてしまうから、ついつい、軽やかな心を失ってしまう。
ただ、求めるように、感じて、受け取って信じて向かっていって、ただのわたしというものになりたいのに。

まとわりついているあらゆるものが、私の所在をみえなくしている。

あまりにもいろいろなものを、付加されつづける。




知りたいのは、答えじゃなくて、その方法。

2010年10月14日木曜日

ふっと入る感じ

予知夢ってどうなんだろう。
今日、明らかに夢でみた状況がそこにあったのだが。
たまにあることなのだが、だからどうってことでもない。
デジャヴュっていうのは、その多くが、脳が今の状況を一瞬忘れて瞬間的に思い出すことで起こるとかって聞いたことがあるので、そういうものかそうじゃないか、はっきりとわかるときしか、迂闊に「夢でみた」などとは思わない様に気をつけていますが、今回はそういう場合でした。

確かに「夢でみた」というときは、人にその夢について話した記憶があるときです。
とはいえ、夢の話など話された方は覚えていないので確証はないのですが。

今日の話は、今日会った人たちを全く知らない時に夢でみていて、
「何か知らない人たちと、しかも年齢とかばらばらで、なんかよくわからない絵のあるカフェみたいなところで、話をしてて、、で、私はいつも通り遅刻してて。。なんでそんなことしてるかわからない」
っていうふうに母親に話した記憶がある。

特に、絵の記憶は鮮明だったな。


どういうふうに、道は、繋がっているんだろうね。

別に、
どうでもいいんだけど。

ちょっと気になっただけ。

2010年10月9日土曜日

ふぅ。

思わず、何か言いかけて、でもやっぱりことばが口元で閊える。
いつも通り、何も言わなければ済むことなのに、どうしても言わなきゃいけないような気がする。
ああ、つらいな。
そう思っているのだけれど、なんとか向こうへ追いやって、ここまで来てみた。

わたしはここでうつぶせに倒れることしかできない。

ようやくそのことに気付いたけれど、もう、起き上がるのはあまりにしんどくて。

ちょっと、起き上がり方をいま、考えてるところ。

2010年10月8日金曜日

見極めろー

わたし、結局、人が好きってだけで動いてるんだよな。
そうじゃないと、まぁ全然動かないよ。
そりゃあ面白いとか面白くないとかも大事だけど。
一番はやっぱりその人が好きかどうかかな。
だから単純に、この人は好きな人かどうか、見極めるのが一番大事なことになってると思う。

それから、わたしは、好きか嫌いかで動いてるって認めること。
ちがうな、この人が好きだから動いてるって認めること。
そっちの方が難しいかも。

認めたら、もうちょっと動きやすくなるかな。

でもさ、なんで好きなんだろうね。
でさ、なにが嫌なんだろうね。

考えた方がいいかなぁ?
考えなくてもいいかなぁ?

考えなくても会って話したら、大体、わかるよね。

会って話して。

それがいちばん大事なことだね。

2010年10月6日水曜日

認めろよー

わたしはみんなが好きだから、ここにいるんだと知っている。
それだけだと認めるだけの強さを持ち続けなければいけないと思う。
怖いけど、生きるのは自分なんだから、自分に従うのが一番正しい。
それをもっと体にわからせてあげなきゃ。
だってそれだけだから。

こわい

こわい。
怖い。
こわい。

私は、怖い。

この状況も、そこに垣間見える世界も、あなたも。

今日

今日はとても美しい日だったので、書いておきたい。
今朝は、起きてすぐにお風呂にはいって、授業に遅刻。
環境生態学だったんだけど、30分くらいすぎてて、行ってみたら、外に出ての授業だった。
今歩いてきたところでやってるとのことで、「嘘!」と思ったんだけど、行ってみたら確かにいた。
なんとか先生をさがして、(この先生、とてもかわいい女性ですが、きびきびしている割にどうやら方向音痴の様で、教室とか間違えたりしてて、それがまたとても素敵なのですが)遅刻した旨を伝えると、私にはすぐに教室に戻るような算段をしてくれて、一緒に戻ることになった。
こうやって、一緒に歩くことで、簡単な雑談ができて、それは、授業を授業としてただ受けていたら体験できないことだから、とても良かったなぁと思った。
こういうタイミングは嬉しい。
遅刻者という印象はついちゃったかもだけどね 笑

それから、お昼を食べながらツイッターをチェックしてたら、やなぎさわさんが電線の写真を#densenでつぶやいてくれてて、しかもその写真がとっても良くて、大学院室で一人で超テンション上がった。元気になった。

授業に出て、今日で私の担当箇所も終了して肩の荷がおり、軽やかにシャトーへ向かう。
学校からのバスにも待ち時間なしでさらっと乗れて、国分寺から中央線で武蔵小金井へ。
駅のホームから階段を降りたら、そこに岸井さんが 笑
偶然だ。
偶然とは嬉しいものです。
慌ただしく会話をしてわかれ、シャトーへ。

ヨガ教室まで結構時間があったので、メール等をして過ごす。
今日は「ミス報告に対する考え方」が示されたので、それにともないミス報告をした。
あと岸井さんともちょっとしたメール。

そうこうしているうちに、カフェのなおさんが到着。
こずえちゃんと三人でおしゃべり。
みんなそれぞれ懸案事項を抱えている。
なんかでも、いいよなー。
明日から毎週水曜日、カフェでモーニングをやるらしくて、そのメニューを考えて買い出しに一緒に行った。
歩きながら、いろいろ聞いてもらっちゃった。。多分なおさん、私のことかなり詳しいはず笑
ほんと、なおさんに甘えているので、最近ちょっと反省してます。。

それから神村さんのヨガ教室。
ともすると眠ってしまいそうなくらいリラックスした時間だった。
ほんとに、落ち着いた。
終わった後で神村さんと、アルバイトとかフィンランドとか岸井さんの誕生日とかの話をしてみた。私、神村さんがとても好きです。

その後携帯をみたら、聖良ちゃんから着信が三件入ってて、急ぎの用事とのメールがあったので、すぐに電話。
MLでみてた件だったけど、今度のイベントの話で、さくさくっと時間等を設定、それから伝えなきゃと思ってた諸々も連絡。(切ろうとしたときに伝えるべきことを思い出すこと3回 笑)

思いつきで叔母に連絡、すると運良く都合がいいとの返事。何分後かに行くと約束をする。
羽鳥くんにメールしたら行こう、と思っていた。

シャトーにはこずえちゃん、大川原くん、ヒラバヤシさん、なおさんがいて話をしてた。
私が行くと、こずえちゃんと大川原くんはアルバイトをさがしてて、変わったバイトがないかみんなで考えてた。あんまりないけどねぇ。。
ヒラバヤシさんには、IMMの関係でちょっと気になることがあったけど、なんとなく聞けずじまい。
とりあえず急いで叔母の家へ。
行ってから、一応親に連絡しようと思って携帯探したら、なかった。
シャトーに忘れてきたよう。慌てて取りに帰ると、こずえちゃんとなおさんだけが残っていた。
よかった。
携帯をどこに置いたかわからず探しまわったところ、忘れたと気付いていなかった手帳を発見。よかった。
携帯も無事見つかり、一安心。
こずえちゃんとなおさんとちょっとおしゃべり。
聞きづらかったIMMの話とか、インターンのこととか、なんかいろいろ、これまでのこととか、話した。
こずえちゃんは寝てなかったみたいで、ちょっとぼーっとしてたけど 笑
二人とも、ありがとう。

急いで叔母の家に帰って、ちょっと話して、整体をしてもらう。
私は、特別扱いされているけど、甘えきりはいけないと思ってる。

帰り、バスの上手な乗り継ぎ方法を発見。嬉しい。
おうちまで難なく帰れた。

帰る途中で、中学のときの親友に明日の21時に映画に誘われていたのに返事をした。
興味ない映画だったので、その旨伝え、明日はなしに。
この間から会いたいと思っているのになかなか会えない。あかりちゃん。

帰ってきたら私の分の夕飯があったんだけど、今日のご飯、おいしかった。

こういう日だった。

2010年10月5日火曜日

所在不明にて

今日は、「愛着について」(3回目)に行ってきたんだけど、途中からだから、最初ちょっとわけわかんなかった。
でも、ところどころおもしろいところはあって、まぁだから、よかったなーと思った。
私が、シャトーの人間であることはでも、大切だったと思う。

ふぅん。そうなのか。

とりあえず、所在不明。

シャトーの人間ってなんだ。とりついているわけでもあるまい。
でも、そうだな、わたし、シャトーじゃなかったらここまで、来ることもなかったかもしれない。

何に、寄せられているのか。
わたしは、不明のままだし、
ただ、
逃したくない   を逃さないようにいるだけ。

なにを目論んでいて、そこがどこか。
わからなくていい。
知りたくないことはない。
でも、わからなくていい。

そんなの、重たいだけだし。

2010年10月3日日曜日

そんなことはいっていない

わたしがいっていること、そんなにひらたくとらえないでくださいまし。

ただ、ことばにならないことがあまりに多すぎて、わたしにはわからなくなってしまうだけ。

ねぇ、あなたの発したそのことば。
いったいどこまでを含んでいるの?

わたしの領域があなたに見えていて?

その認識の食い違いを信じて欲しい。

ないものとして扱わないで。
わたし、そんなに弱くないのよ。

2010年10月1日金曜日

わたしの時間に佇む

どうしてこんなに泣きそうなのか、といえば、

自分があまりにも拙いからだろうか。

わたしは、この短い間にも変わってしまったのだと、認めざるをえないからだろうか。

その変化は、とても急激でありながら、わたし自身にひどく馴染み、大きな幸せをもたらしてくれた。

しかし、今のわたしを知るまえのわたしが、決めてしまったことは、過去との約束として守らなければならないだろう。

そのことが、とてもとても、

とても、とても、難しい。

去っていったわたしの決断は、あの子と一緒に行ってしまった。

あれはもう、わたしであってわたしでないもの。

どうか、忘れて。

そういうことが、どんなにか身勝手なのをよくよくわかっている。


わたしは逃げるのも嫌い。





あと、たぶん、あなたの気持ちがやさしすぎて泣きそうなのだ。

2010年9月28日火曜日

つぶやいてばかり

ツイッターについて考える。

私は、まぁ、身も蓋もない言い方をすれば、だだ漏れ状態です。
フォローしてくれているみなさまには、さぞやご迷惑をおかけしていることでしょう。
だからといって、このペース、崩すつもりはありません。
というか、なにやら大事なことのようなのです。
私がいつも通り過ぎて、やり過ごしてしまおうとしていた私にとって一番大切な気持ちを、つぶやくことで少し自分に思い知らせることができるから。

無視をするのはいけないことです。

体に毒。でも、気付かない。気付かないようにできてる。

少しずつ、崩れていく。
片側から、砂のように崩れていく。わたし。
を、少しだけ、眺めている。

そして、みんなのつぶやきも、わたしに触れることがある。
そのとき、私の興味を、通り過ぎようとしていた興味を顕在化させる。
だから、繋がっていることに、価値があるのだと。

なにか他にもきっといろんな要素がある。
それで、それぞれに、それぞれの価値観で、利用する。
その余剰がなんともいいじゃない。
ねぇ?

2010年9月27日月曜日

会ったことがある人

この半年くらい。
とてもたくさんの人と出会った。
新しい出会い自体が珍しいとか、そういうことじゃなくて、私にとって大切な人ばかりに出会ったと思う。
こんなにも好きな人ばかりで、こんなにも、正しく感じられる。
これがどれだけ幸せなことか。

そして、何度も何度も、「会ったことがある」という感覚におそわれた。
絶対に初めて会う人だ、と頭でわかっているのだけれど、絶対に会ったことのある人だ、という感覚が体中で沸き上がるのだ。
もう、前から知っている人のように。思えて仕方がない。

そうして出会った人たちを、そうであったのだと忘れないように。

私の美しい部分をなくしてしまわないように。
ただ、そこに想いを重ねておきたい。

2010年9月25日土曜日

東京の条件:9月総会

総会に行ってきた。一日中いたのは初めて。
けのび『等々力』50分ver.みました。
面白かったです。

「面白かった」かどうか。
それが問題である。

まずはじめに、「面白い」というには抵抗があった。
なにかしら「面白い」と思われる要素がわかったなら、「面白い」ともいえるだろう。
しかし、私には「なにをやろうとしているのか」「どういういみをもっているのか」はわからなかった。すくなくとも頭では。
何か近い所までは感じられている気がする。
それは本気で取り組んでいる感じなのかもしれない。
その少ない気配と、感覚的に「楽しかった」と感じたことと、「美しいな」と思ったことを合わせれば、やっぱり「面白かった」と言えるのかもしれない。
とくに一部は楽しかった。体が寄せられて行くような感覚と、意識が遠くまで行ってしまう感じがしたから。
でも言葉とか、がたがたした二部は局所的にわかるので、それはそれで「面白い」と言っていいのかもしれない。

ただ、このような「面白い」か「楽しい」かという疑問が浮かんでしまうこと自体、私が演劇的文脈とかそういうことがわからないばかりでなく、本当にどうでもいいからだと思う。
これも常に、「どうでもいい」ならなぜここまでこだわっているのか、が問題となる。
これを検証することがかなり早急に求められていることは言うまでもない。
そのためには、この興味のない領域について詳しく知るべきだが、その過程で私は向こう側へ取り込まれてしまう可能性もある。そうなった場合、今のこの興味はどこからくるのか、検証しようがなくなるかもしれない。それを恐れている節はある。

どの人にせよ、今後が楽しみだ。私はみてみたい。そう。みてみたいということだけは間違いがない。
ただ、私はこのなかで何をすべきなのか。どうあるべきで、どうありたいのか。
もう少し、考えながら歩いてみよう。

岸井さんの『地域密着型演劇センター』という話。
これもそう。論理の確実でない部分というのは、もちろんある。それ自体がほんとかうそかということはある。
でも、そんなことはこの場合意味をもたない。少なくとも30%くらいそれが真実であると思える部分があるなら、後の検証はやってみればいいと思う。
自分の側に向かって間違ってしまっているのでなければ、それでいいと思う。
これも、みてみたい。ということ。

私の立場からは、そこまではどうでもいいということが多いのかもしれない。
ただ、私の問題は、彼らにとってはどうでもいいということも然りである。
とはいえ、彼らの用いろうとするメソッドが確実に私の問題にとって重要であることは言うまでもない。このことは忘れてはいけない。
しかし、「私の問題」というものがまだまだ揺らいでいる。これをなんとかしなければいけないだろう。
少なくとも、私の存在が何かひとつ、集団が強固なものになるときに必要な異種性をもっていると言えると思っている。それは、「同じなのに違う」といういこと。

だから、私は私として、なにか貫いてしまわなければいけないのだと、わかっている。
ただ、無視しては進めない。

ああ、今日は、楽しかった。

2010年9月24日金曜日

女生徒

太宰治『女生徒』を昨日読み終えた。
つとつとと、ずいぶん前から読んでいたのだが、ようやく読み終えた。

とても、美しかった。

私は、最後の文章が離れない。

「おやすみなさい。私は、王子様のいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?もう、ふたたびお目にかかりません。」

これが、若い女の死に絶えるときかと。
そして美しいままで居れない人間なのだと。
ただもう、何も言えない。

2010年9月21日火曜日

構想

一つ、自分の活動の構想が出来た。不意に。
これは、絶対にやりたい。やるべき。意味がある。
しかも面白い。

まだ、プロジェクトとしての打ち方とか不確実なので、構想ができた喜びだけ記しておく。

ときめきについて

「ときめき」について考えていた。

「橘花ちゃんは何をされたらときめくの?」
ときかれたのが発端。

みんなはそういうときめきポイントがあるらしい。
例えば「電車で人がわーっと乗ってきて、ぶつかりそうで危ないときに近くに引き寄せてくれる」とかという話。

よく考えたら、今まで好きになった人のことを思い返してみて、「対自分」ではなく「対他人」の態度でときめいていたように思った。
これって、多分自分の周囲の価値観や社会性ばかり考えていたってことじゃないか?

なんだかとても自分が残念になった。
そして、それらは基本的に上手くいっていない。
だから、もっとちゃんと「ときめきに正直」になってみようかと。

なんて思っていたら、ときめく出来事が。。何度か起きた。奇跡(笑

でも意外と単純なことな気がした。
「ときめき」を感じたら、昔のときめきも甦ってきた。
高二のとき、雪の中に出て行って、頭に雪をつけて教室に帰ってきたら、「ついてるよ」っていいながら取ってくれたのにはときめいた。
別にその人全然タイプじゃなかったけど、とりあえずときめいた(笑
これって、タイミングとか絶妙で、頭に手をやる前に「ついてるからとるよ」とか言われちゃったらときめき半減。
こっちが怖くない程度に手をあげてこっちが「?」ってなってるところで、雪を取りながら「ついてるよ」と言う。でなきゃ。

と、なにくだらないこと熱く語ってんだ。。

いや、重要なことは私のときめきは「ちょっとだけおにいちゃん」みたいなことをされると起きるっぽいということだ。

別にちゃんとしてなくてもいい。私に優しいまなざしを向けていてくれているとわかることが大事。
違うところで間抜けなことしてたりドジってたりしててもフツーに萌えますし。笑

そういうやさしさをもとめているようだ。

2010年9月11日土曜日

逃走/回避/拒否

誰もいない夜のアスファルトを私は裸足で走っていた
だれも追ってきてはいない。
そのことに安堵しながらも、足は止まらない。
足を止めるわけにはいかなかった。

いつなんどき、なにかに襲われるとも限らない。
足はもう、前には動かないのに。
足の裏はもう、痛くてついているのがやっとなのに。

私はまだ。
まだ、倒れるわけにはいかない。
まだ。
追いつかれるわけにもいかない。

足よ、動け。
まだやれる。
まだいける。

動け。動け。動け。

あの闇に向かっていけ。
あの坂を上っていけ。
その川を飛び越えろ。
その崖を飛び越えろ。

あなたも、わたしも、たしかに足で地面を蹴っている。
それだけが、変わらない事実。

願いの繭

どうして昨日から私は目を閉じているのかしら。
どこにも行けない。
手をのばせばそこに甘い水。
しびれる頭は理解しているけれど、それを信じることはできない。

幻だ。

私は動かない。
理由はひとつ。
望んでいないから。

私は甘さを求めない。
私は容易さを求めない。
私は明瞭に判断している。
ほんとうに、とても、自覚的に。

2010年9月9日木曜日

前の祈り

悲しみを向こうへ追いやって、
私は一人で部屋の隅。
立ち尽くして見失う。
あなたはどこへいったのか
私はどこに立っているのか

わからないことのほうがおおい
わからないことのほうがおおい

そこへ、立ち向かって。
息をして、少しでも。

少しでも

現実感

研究計画書を書いた。
根本のテーマから悩んでいたけれど、結局当初の研究計画とあまり変わっていない。
だからといって、まったく自分の意図としないところではなかった。
問題意識は変わっていないからだろう。
ただ、もっともっとみえてきた部分が多く、何を自分がやるべきなのか見失っている。

論文として、研究として、ちゃんとまとめる必要性に迫られたとき、現実的な方策を取らざるを得ないことはいうまでもない。
その作業に悲しさはあるが、良いことであると思う。
抽象的で膨張しすぎた考えは、ひとまずどこかに落とし込まなきゃならない。
そのままでは扱えない。

現実感は清々しくもある。

2010年9月7日火曜日

働きたい。

働きたいと思っている。
大学4年生のとき、就職活動をしていたとき、きっと多くの学生がそうだと思うし、
社会人のなかにも多くいるんだろうけど、「「企業」という家にはいって仕事をもらって、お金をもらう」そういうやり方しか現実的にみえてこなかった。
そうでない人もいることは聞き及んだところで、実際に自分がそのような人になれるか、といえばそんなのは幻想にしか思えなかった。
「一般的な仕事」というものは、「企業」のものであるかのように思われていると思う。それ以外は公務員とか。とりあえず、誰かに雇用され、そこでかくまわれるのだという感覚があるに違いない。

でも、すこし余裕を持って考えると、「仕事」というのは社会との関わりをどうもつかなんじゃないかと思う。
いろんな人と関わるようになると、仕事は間違いないく人と人の間に生まれるものなのだとわかる。
そうやって、人と一緒に生きることで、そのなかで仕事を見つけられたら嬉しい。

もちろん理想論でもある。
そんなことじゃなくて、反対に、「仕事」をしてみて、働いてみて、人と関わってみたいという気持ち。
今はそういう気持ち。

そして、そういうなかで少しだけ、お金をもらえたらな。

2010年9月6日月曜日

そんなのできるわけない

昨日勢いで何となくブログをつくってみて、
「どこまでも真っ直ぐに」ってタイトルつけて、
今日みてみたら、
そんなのできるわけない。って思った。

でも、これは願い。
真っ直ぐ生きることが願い。
時に曲がりながらかわしながら、私の芯を曲げないこと。
真っ直ぐに、目線をそらさないこと。
逃げないこと。
立ち向かうこと。

真っ直ぐに。真っ直ぐに。
西成のお祭りの時にもそう書いたのだったが。

願い。目標。夢。希望。絶望への意志。途切れることのない

途切れることのない。

2010年9月4日土曜日

ブログを開始

去年もyahooでブログ書いてましたが、またはじめてみます。
ツイッターが主なので、そんなには書かないように思います。