2010年12月26日日曜日

日々わさわさしている

なんかかんかで、わーわーと日々が過ぎていってしまうのは、ちょっと、あー、もったいないなぁって、思う。
でも、ちょっと振り返ってみると、少しずつ、降り積もって出来上がってきたものってのもあるみたいで、ああ、良かった、って思うのだけれど。

それで、ちょっと、振り返ってみようと思う。

12/13(月)
この日は、西荻窪の銭湯でイベントがあった。
遅刻して半分みれなかったけど、よかった。
この日、いろんなところのいろんな人に会えて、なんかいままでが繋がってる感じと、これからが繋がっていく感じがした。
銭湯の後、突然、高校の時からの友達から連絡があって、カラオケ行っておしゃべりしたのとかも、すごく、アートのことだけじゃなくて、それぞれの人生について、全体が繋がっている感じがして、良かった。

12/14(火)
この日は学校にいて、夕方からの予定が急になくなったから、図書館に。本当に、修論経過報告レポートは切羽つまっているのだけど、ぜんぜん掴めない。
掴めなくて、本、本、これかも、これかも、と全身をそばだてて本を探す。
まぁまぁの収穫かな。

12/15(水)
東京駅の方で授業。この日は担当になってたのと、一人、良く喋る子が休みだったのもあって、たくさん喋ることになった。しかし、ちょっと、先生とは噛み合ないな、という感じがした。私は、ただ、ああいう研究者みたいにはならないだろうな、と思ったり。
どうやって、を示しているとしても、「誰が」がすっぽり抜け落ちている気がした。
しかもその「誰」というのは、ひとりではない。実践するのは一人では意味がない。
だから、本に書いてあるようなことをひとりがわかったところで意味がない。
ひとりひとりが共有し、しかも、ひとりひとりがその通りやりたいわけではないだろうし、そのなかで、それぞれの方向で、うまくやるとか、そういうためにはどうしたらいいか、考えなきゃいけない。ひとりひとりの考え方から変えていくことだったり、すると思うのだけれど。
それで学生のレベルが下がってる、とか、言ってる場合じゃないと思う。
私の頭が悪いのとか無知なのは別に否定しないけど。

それからそのあと、ふぁうんど研のミーティングがあった。
その前に岸井さんが米光さんとミーティングしているのを横で聞いていて、楽しかった。
米光さん、面白い。好き。手がきれいだった。笑
岸井さん羽鳥くんとミーティングで、私は、結構、この日はぼーっとしてた。
途中で、しのづかさんから電話かかってきて、おもしろかった。
しのづかさんは岸井さんと話してテンション上がってたなぁ。良かった。
でも私はこの日はぼーっとしてたな。あんまり寝てなかったし、食べてなかったからかな。
でも、神経はすごい遠くまで行っていたと思う。

12/17(金)
この日は聖良ちゃんと経済の勉強会をやるにあたって、小手川さんとの準備会だった。
遅刻した。。orz
秋葉原って結構遠いんだなぁと毎回思う。新宿くらいのノリで行くとよくない。
ぐるっこでかんむりちゃんや同居人のアーティストの子も交えつつ、それぞれの興味の話をして、これから楽しみな会になりそう。村上さん誘い損ねたのが残念だったけど。
せいらちゃんは、秋葉原の取材が岸井さんやJOUさんと入っていたらしいけど、逆に二人がぐるっこにやってきた!さらにたつきさんも!みんな大集合でわーい!だった。
そのあと岸井さんとせいらちゃんの打ち合わせに急遽参加。ふふふ。
それから少し、聖良ちゃんとふらふらおしゃべりる。
で、はとりくんを待つ。
(聖良ちゃんの助言(笑)もあって、ああ、私、なにやってんだろう。とか思う。)
話せて良かったと思う。ああ、そう、そうね。
私は、こうしてるのが、好きなんだと思う。
たいへん。

12/18(土)
東京の条件12月総会。前日も秋葉原だったから、あまり遅れずに着いた。よかった。
楽しかったな。気まぐれに結構つぶやいた。
終わった後みんなで中華だったけど、冠ちゃんがしゃっきしゃっき動いてておもしろかった。
篠塚さんの話も、ね、いろいろ考えなきゃだわ。久々に話せて良かった。わりと元気そうだったし。
あまり話せなかったけど、鳥越さん、素敵な人だと思う。
帰り、電車で須田さんと喋ったのは、良かったと思う。
なぜか、お水をいらないと言った田口さんが頭に残っていて、田口さんのことが好きだなと思う。
イシワタさんともうちょっと話したかったな。あとたぶん、茂木さんももう少ししたら、話したい。
森くんは、法政のキャリアの子達とか、先生とかに紹介したいと思ったけど、岸井さんが懸念していたことがやはり気になる。
ともあれ、とりあえず、諸々先生とは話に行かなきゃなぁと思っている。

12/19(日)
シャトーマルゴーのミーティングがあった、、遅刻。。orz
しかもこの日、シャトーでは浅井さんのワークショップだった。忘れてたうっかりさん。
マルゴーは来年も入れるようで、良かったー。
パフォーマンスとか、気になるは気になるけど、うん。
とりあえず、聖良ちゃんは次回、でることになって、あーよかったなーと、これはほんとにね、思うわけです。
そして、マルゴーのチラシ配りに皆で外へ。
それぞれ、店の感じと合った人をみてのチラシ配りに「なるほどー」と思う。
いや、これはほんとびっくり。
あとなんか全員ちょっとふわっとしてた。笑
楽しかったー

このあと、聖良ちゃんの展示をみに原宿へ。
展示、なかなか良かったです。実験っぽい感じはあったけど、批評ってどうだろうね、っていう感じとか、わかった。まぁでも、美術の文脈は聖良ちゃんだけで、グループ展では浮いてた 笑
時間がなかったから手で書くことになったっていうスコアの部分が、聖良ちゃんが手で作ったものはほぼないなかで、美術な感じがすごくした。ポートフォリオよかった。
展示を知らない状態で聞いたら(それは無理だけど)どんな風に感じるのかなーと思った。
ただ展示よりもものすごく皆の「秋葉原」イメージが浮かぶように感じた。「秋葉原がじわっ」という。

展示撤収まで、カフェで話とかしてて、一緒に展示をしていた人の知り合いのムサビの女の子がいたんだけど、私と同じ感じで迷ってて、面白かった。
「どこにむかって、なにがしたいのかわらかない」とか「わたし言い方キツいからー」とか「二番目が良いんですよ」とか、全部一度は口にしたことあるフレーズで笑った。
彼女の話をじっくり聞けて良かったと思う。それで、なにができたのか、なんのためになったのか、わからないけど、こういうことが私のやるべきことのひとつだと思う。
撤収が終わるまでだらだらしてて、展示のみなさんのぷち打ち上げにおじゃました。
ふふふ。

12/22(水)
前日にツイッターでマッカリのイベントを知り、行くことに。
坂上さんと臼井くんの卒論中間報告会。
私も、修論の中間報告レポートが書けずにぐずぐずしているので、刺激を受けにいこうと思い、出かける。
ふたりの発表は、とてもおもしろかった。
ベースとなる先行研究があまりないだろうことをしているのはとてもいいなぁと思う。
やっぱりやるなら、あたらしい世界に向かっていくのでなければ、ね。
臼井くんのフィールドワークの記録はすごかった。すさまじい。勉強になったなぁ。
そして、臼井くんのお兄さんが高校の同級生ということが判明 笑 地元w
帰ってアルバム確認したら確かにいたけど、全く接点はなかった模様。
でもおもしろい。
プロジェクトで関わってたお店が、高校からの帰り道につい寄っちゃうとことかあってびっくりした。
ちょっとしたことでうれしい。

玲ちゃんの空間でものを考えるところが、私と一緒で、興味深かった。
これはまだまだ考えたいこと。

あと、この日は4人しかいなかったのに、玲ちゃん坂上さん二人とも5人いると思ってたのが謎だった 笑

12/23(木・祝)
横浜に行く。当初決まっていた予定は、「茶遊びに行く」と「高須賀さんにエヴァを返す」というもので、あと、タマビの映像演劇科の卒展がやってるらしいから、天ちゃんみれたらみたいなーくらいな感じだった。
約束はしてなかったけどせいらちゃんが小手川さんなんかやってるらしいといって、行こうかという感じになり、結局、横浜で落ち合うことに。
それで、最初にBankArt へ。天ちゃんにも会えて、良かった。
せいらちゃんが興味津々で面白かった 笑
展示、私は好きな感じだったなぁ。
インフォメーションでは、せいらちゃんがマルゴーのチラシを置いてもらうのに成功。シャトーのはなしをしたら、受付の人が大川さんを知っていた。謎。 笑 面白すぎる。
それからようやく黄金町へ。
初めてOVAさんたちに会えた。
茶遊びも初めてで、なるほどだった。
小手川さんの初心者経済学講座、おもしろかった。
茂木さん来てた。考えさせられるな。
高須賀さんにも会えて、漫画を渡せた。
皆はこのあと銭湯に行くとのこと。
高須賀さんはまだもうひとり人と待ち合わせという。
帰りがけに高須賀さんと話したら、待ち合わせているひとがなんとせいらちゃんの知り合い!
おおー。楽しくなってきたねー
皆で近くのnitehi worksというところで軽く一杯。
出口のみえない話だとしても、とても大切な会話だと思う。

せいらちゃんと帰りながら、なんとなくこの一年を振り返っていた。
「この一年、成長した」って。
うん。
がんばっていこう。

12/24(金)
迷ってたけど、アートランドに行くことにした。
川染さんをみたかったのと、田口さんが出るって話だったので、気になっていて、シャトーの子達が行くという情報をツイッターでキャッチしたので、行くことにした。
大木さんの映像に若干酔った 笑
川染さんはなるほどこういう感じなのかーと思う。マンガみたいだったよ 笑
なにせ服がよかったね。うん。あと、とめがねぱらぱら。「この日のために書き下ろした...」ってくだりもなかなかかな。
幸せの靴さん、普通におもしろかった。ちゃんと面白いお話をやってて逆におお!って感じ 笑
美脚。
田口さんは、ミニスカートで赤いタイツ、ペタ靴でビールをもって、いちばん最初になにも知らせずしばらく立っているところが、すごくよかった。それでよかった。
直方平さんとも会えたー。

クリスマスとかしらないよ。

2010年12月13日月曜日

色の思い出

延々と、遠回り。
高層ビル、忙しなく、倒れて。
今日もここに。
喜べないなら、嘘を言って。
嫌い。来て。

明日の、この場所に、いるの。
鳥。
知らない知らない。
誰。
、重い。
煌々と、照らされている、頬に。
髪。
知らない。
行けない、声。

きぃん

きぃん

こどもの呼吸
眠り。
ゆうべはシチュウを食べたのだった。

2010年12月12日日曜日

実験ツイートまとめ

12/8
最後、あなたが、さいご、言って、そのことだけ、忘れていない。でも、そういう、あなたの、そういうふうな、夢、そうは、言っていない。

12/10
いつものとおり、想像できずに、遠くの景色を、耳があって、喜ばずに、ただ、実に美しい、政治的思惑の中で、じっと佇んでいるのは、どうしようもなく、手を、返して。帰れない。

12/11
嘘を言って、どうにもならない、とばっちりばかりを、チョコレート、品川まで。呼んでないよ、よんでないよ、ココア、そろそろ気付いて、雨さえ降っていない。

あなたがそう言った。ただ夢のように。いつもいつも、わからないばかりで、何も言えずにいたのに、そうやって追いつめられていくばかりの闇を知るはずもなく、ただこうしていて。なにも、応えてはくれないけれど、言葉が氾濫していた。ただ、その時みたいに。

梅、急におもしろくもない、算段だけ、冷たい空気に圧されて、昨日のことをわかりもせずに、あれはね、あれはね、と、曇り空を指している。もう、どこにもいかない。そうして、どこにもいかない。

名前を思い出せない。この先、出会えるかもわからないのに、枯葉を思い出のように、扱うのは、光が金色をしているせいでしょう。ゴムボール、音を止めて、でこぼこした三輪車、ひざを擦りむいた。

物語を捨てて、飛べない鳥のために、車を、歌を、死なない程度に寝そべって、川に忍び込む、いらないいらない、君の肌。

沿道、困ったな、また海に、みえない、星?、耳の裏、くださいな、本当。言って言って、ここにいるわ、焼けそう、白い、ざらり、ざらり、ざらり。

今日、病、方々、一人でも大丈夫、愛しているさ、困難、いつでも、落ちてくる、線形の空。ひよこ。私に、メイド姿の、にらみつけないで、空、抑えて、黙っていて。


2010年12月9日木曜日

昨日、やっぱり悲しかったから

ショックだった。
思ったよりも、そうだったのだろう。

見捨てないで。
見捨てない、と信じているけれど、そう思ってしまった。

悲しくなってしまった。

東京は、悲しい。

私はここに、いたい。
ここを捨ててどこかへ行くことは、大切な人たちの人生を、その先の世代を、みないようにすることだと思うから。

ただ、私にここ以外の生活が、実感できないのも事実だ。
比較とかじゃない、私には、生まれ育った場所で展開している人生達だけがみえているというだけのことかもしれない。

友達の多くが団地やマンションに住んでいる。
戸建ては似たような新築。

問題は、もしかしたら、ずっと東京にいる人ではない人たちが一緒にみている「東京」という夢かもしれない。
東京のような生き方。

私の親戚たちが、わりと近くに住んでいるのは、そういう「東京」に呑まれてしまわないように、助け合うためかもしれない。
地縁が、信じられるほど強くない分、血縁は繋いでおこうとする気持ちか。

私はいま、祖母がひとりしかいない。
祖父は小2、小4(?)ころに他界。二人とも癌。病院で亡くなっている。
祖母は大学2年のころに他界。胃ガン。病院で亡くなっている。

生きている祖母は、伯父の家族と同居しているが、とても元気で、遠い親戚の看病をしにいったり合唱団にいったりと忙しくしている。

ああ、そうか、誰も確かにほとんど介護などが必要なく、困っていなかった、けれど、やっぱり親戚のなかで、誰かが引き受けて、ずっと一緒にいるように、していたのだろう。
そうやって、助け合うことができるような関係づくりがしてあったんだろう。

「その家族が困るだけ」

それができる家族はいい。
ただ、そういう実際に起こる問題だけじゃなくて、その根底に潜む都会の人たちの考え方や心理、それを植え付けているなにかのイデオロギーがある。それが私は怖い。

姉は平気で言う。
「お金は出す」と。

本気でそう、思っているかはわからない。
でも姉ならやりかねないと、思う。

私はお金も出せないし、なにも、言えないのだけれど。

父方の親戚たちが、心に余裕があって、人に手をかしたり、祖母が遠い親戚の看病に行けたりするのも、やっぱり、お金に余裕があったから、なんだろうなぁ。

でも本当は、なにがなくても人のことを思いやって生きていたいと思うのだけど。そういう人たちだと、思うのだけれど。

社会はそう、なっていないよね。たぶん。

2010年12月6日月曜日

。。

「それは消えないよ」
「それは橘花さんだけ、だけかわかんないけど、だよー」
「ことばをいきおいとしてつかいたい」
「ファンタジー(私が)」

最近聞いた、気になることばたち。


書いてみた

避難のこと。

私がまわったのは、
原宿、池袋、目黒、田端、大塚、新宿、代々木、神田、品川、という感じ。

他のところのウワサもいろいろ聞きましたが。
あと、連れて行ってもらっちゃったので、(御徒町)という感じ。
ホームレス礼拝は行っていないので、みたものは違うでしょう。

F/Tでつぶやかれてた高山さんのお話で、
宗教とコミュニティと民間宗教のようなものをテーマにしているということを目にしたような気がします。

確かに、コミュニティまんまなスペースとか、まんま宗教施設とか、占いとかスピリチュアルとか、まんまでした。

全部みたわけじゃないし、どうだとも言い難いですが、
私がみたかぎり、そうでした。

で、神田では、たくさんの避難民達に会って、その共有されている感によって、つながりあっている人たちがコミュニティっぽいものをつくっていた。
一番初めから感じていたのは、踊らされている感じ。
「RPGみたい」という感想をちょこちょこ耳にしましたが、まさにそうなのだと思う。
確かに、フラグが立って、目的地到着、クリアみたいな感じがあるっていうことを指していっているんだと思うし、そういう面白みはあった。
だけど同時に、自分にコントローラーをつけられていて、誰かによって動かされている、操作されているような感覚が、否めなかった。
途中、本当に「なんでこんなことさせられなきゃいけないんだ」と思った。
やらなきゃいいんだけど 笑
でも、なにか面白そうだ、と思ってやらされている自分がいて、それがなんか違和感を生んでたと思う。

宗教の扱い方はもう少し考えたほうがいいと思った。
つくっている方がどう考えてるのかわからなかったぶん、なんともいえない、つまり、私たちが感じたように感じて考えろみたいなつくりなのだと思ったけれど、それによって何も言えない状態になってる気がした。
スペースに踏み入って行くこと、そういうものを身勝手に人に突きつけること、宗教を俯瞰しているような立場をとっている、あるいは中庸のような立場をとっていること、などが、とても暴力的に感じた。
自覚的でない、関係のない人たちを巻き込むやり方をする人たちにとって、「利用している」という状態にならないようにすることは、いつも課題になっているとは思う。
どうバランスをとるか、考えているだろう、とは思う。

神田で、この「避難」ということ自体が、宗教のようなコミュニティを形作るものになっていると感じた。
これは、本当にすごいと思った。しかし、こんなやり方は、私は嫌だと思った。
人に、結局なにも気付かせないのは、ずるいし、身勝手だと。
ひねくれてるのかな。

宗教は強いから、観客へのフォローだって必要じゃないかなぁ。
というか、きっとそういう意味で敏感な人は避難にはあまりハマらなかったかもしれない。
ある種、図々しくなかったら参加できない気がするし、いちいち微細に感じ取っていたら身が持たない気がする。
まぁ、そういうものの処理がうまい人たちなのかもしれないけど。

全体として、とても面白かったけど、
作り手の身勝手さを感じた、というところです。

アーティストなんて身勝手なものだ、という考えもあると思うし、身勝手さが悪いとも思わないけれど、身勝手を身勝手でよしとしない、それをどうにかしてバランスをとろうとしている人たちが私は好きだなぁ。

portBはどうだったんだろう。
そこでも頑張ってたのかなぁ。わからない。

先述した、避難全体で「踊らされてる」感じは、扱われてた村上春樹の小説にも感じていたことで、すごく似ていると思った。
村上春樹の小説は、おもしろくて「読まされてしまう」という感じ。
それが私は嫌いで嫌いで、村上春樹が出てきた時はもう、テンション下がったわー 笑
でもちょっと、読んでみようという気にはなった。
というより、読んでおこう、かな。

やっぱり、ひねくれてるのかしらね。