2013年7月31日水曜日

たとえばこの日々を乗り越えて、私はまたもう一度日々を思い出せるようになるだろうか。飲み込まれていくだけでない、強かな自分がその先まで存在していると信じられるだろうか。人生の長さがわからない。一度も降りたことのない駅で、私は電車を待っている。
ここがどこだったかも知らない。まだこの場所がどこなのかも知らない。眠っていた?夢をみていた?ただ水面は凪いでいる。私はどこへも行けない。
こんなふうにして、言葉を書いていられるだけ、私はとても元気なのだ、ということだけは、確認できる。ただ、夢の中にいて。ここがどこかも知らないまま。

なんか書いた

うっかり寝てしまって夕飯を食べそこねた。
最近は週五働いて、休みの日はあちらこちらへ行ったり、日々鬱鬱と過ごしたり、焦ったり怯えたりしている。
また、膝から下の部分に興味をもったり、人の肉がついている感じとか、中身の感じとかが気になったりしている。
なんだかんだで月に一度は東京に帰っている。
仕事を続けようと思ったりやめようと思ったり、ブレブレだけど、まだここにはいようと思っているから、まだしばらく浜松にはいる。
一人暮らしや、働くことや、ここの人々に慣れて行くことは、生活だけれど、いままで培ってきたものを忘れてしまったり、あるいはさらに実感から生まれる複雑な悩みを持ってしまうような気もして、怖い。それに、私が届きたい場所に近いところでがんばっているような話や活動、職場も含めて、それを見聞きすると、焦ってしまう。
サラリーマンが休みの日に焦るという話を聞いたけれど、私は全く逆なのだと思った。私は勤務していることでそれ以外の時間でしかやれない世界に対して焦っている。
そんなことなら、もっと挑めばいい。怖い方に行ってなんぼだろ、と思えてきた。またぶれるんだろうけど。
恐れながら進めよと、何年か前にも言っただろう。
怖くて怖くて仕方ない方に震えながら少し、足を進める。そうやってきたはずだ。