2012年1月28日土曜日

メモ

2012/01/27 ツイートの一部

そして自分をも皮肉らなければならない。

わたしはお茶を入れましょう。

もういちど、何度でも、愛情にならなければ。そして世の中は捻じれている。

なぜあのとき鶴を折ったのかわかった。鶴を折ることは祈りだと、すり込まれている。普通は祈るように鶴を折ることはない。(学校などで千羽鶴を折らされても、そこに祈りはない。)ただ祈りの形として教えられている。自分にとってその祈りが必要になったとき、選ぶことができるひとつの形式である。

そして自分のためばかりではない嘆きや哀しみのために。

ひとつの形式ではある。 でも鶴を折れない人もたくさんいるし、鶴を折ることが(特に平和への)祈りの象徴のように伝えられているとしても、選べるひとつの祈りの形式として持っているのは日本人だからとかでなく、私個人の因縁かもしれない。

少なくとも私にとって因縁である。あのような教えには不快感や居心地の悪さがつきまとっているから。

2012年1月25日水曜日

区切りは来ました

とりあえずの論文が終わりました。
全くもってちゃんとかけていないし、終わらせたけれど終わっていないし、まだ全然だけども、終わりました。

大学院を卒業して、論文も一応受理されて、ここまでよく来たな、と思います。
全て確実にやってきた人はそんなふうに思わないかもしれないけど、私は、明らかに、どこかで転んでもおかしくなかった。

なぜ、通れてきたのか、自分でさえ不可解に思う部分が多々あります。これからもきっとそういうふうに生きていくんだろうと思います。

私に関わってくれた全ての優しく愛おしい人たちの顔をくり返し、思い出しました。
その人たちに報いるようなものはできませんでした。
それでもだから、これからも続いていきます。生きていくことです。

*これでいったんおーしまい*

ありがとうございました。そしてこれからもどうか。