2010年9月25日土曜日

東京の条件:9月総会

総会に行ってきた。一日中いたのは初めて。
けのび『等々力』50分ver.みました。
面白かったです。

「面白かった」かどうか。
それが問題である。

まずはじめに、「面白い」というには抵抗があった。
なにかしら「面白い」と思われる要素がわかったなら、「面白い」ともいえるだろう。
しかし、私には「なにをやろうとしているのか」「どういういみをもっているのか」はわからなかった。すくなくとも頭では。
何か近い所までは感じられている気がする。
それは本気で取り組んでいる感じなのかもしれない。
その少ない気配と、感覚的に「楽しかった」と感じたことと、「美しいな」と思ったことを合わせれば、やっぱり「面白かった」と言えるのかもしれない。
とくに一部は楽しかった。体が寄せられて行くような感覚と、意識が遠くまで行ってしまう感じがしたから。
でも言葉とか、がたがたした二部は局所的にわかるので、それはそれで「面白い」と言っていいのかもしれない。

ただ、このような「面白い」か「楽しい」かという疑問が浮かんでしまうこと自体、私が演劇的文脈とかそういうことがわからないばかりでなく、本当にどうでもいいからだと思う。
これも常に、「どうでもいい」ならなぜここまでこだわっているのか、が問題となる。
これを検証することがかなり早急に求められていることは言うまでもない。
そのためには、この興味のない領域について詳しく知るべきだが、その過程で私は向こう側へ取り込まれてしまう可能性もある。そうなった場合、今のこの興味はどこからくるのか、検証しようがなくなるかもしれない。それを恐れている節はある。

どの人にせよ、今後が楽しみだ。私はみてみたい。そう。みてみたいということだけは間違いがない。
ただ、私はこのなかで何をすべきなのか。どうあるべきで、どうありたいのか。
もう少し、考えながら歩いてみよう。

岸井さんの『地域密着型演劇センター』という話。
これもそう。論理の確実でない部分というのは、もちろんある。それ自体がほんとかうそかということはある。
でも、そんなことはこの場合意味をもたない。少なくとも30%くらいそれが真実であると思える部分があるなら、後の検証はやってみればいいと思う。
自分の側に向かって間違ってしまっているのでなければ、それでいいと思う。
これも、みてみたい。ということ。

私の立場からは、そこまではどうでもいいということが多いのかもしれない。
ただ、私の問題は、彼らにとってはどうでもいいということも然りである。
とはいえ、彼らの用いろうとするメソッドが確実に私の問題にとって重要であることは言うまでもない。このことは忘れてはいけない。
しかし、「私の問題」というものがまだまだ揺らいでいる。これをなんとかしなければいけないだろう。
少なくとも、私の存在が何かひとつ、集団が強固なものになるときに必要な異種性をもっていると言えると思っている。それは、「同じなのに違う」といういこと。

だから、私は私として、なにか貫いてしまわなければいけないのだと、わかっている。
ただ、無視しては進めない。

ああ、今日は、楽しかった。

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