2010年11月19日金曜日

どこに、どうやって立っているか。

きのう、授業で、「日本のダンスは幼稚化してる」んじゃないか、と言われて、
私は、そういうのわからないから、わからないと言っておいたんだけど、
なんかこう、腑に落ちないっていうか、納得いかない感じがしていて、
それはなんだろなーって、考えてた。

そもそも、先生は、何をみて、そのどんなところをそう思ったのか、わからなかった。
しかし、それを聞いたところで、私にはわからないし、そうなんだーとしか言いようがない。
私がみてきたものから判断してどうか、だとしても、それは問題ではない気がして、一部ではあるんだけど、そういう評価は違う気がして、その場では、応えられなかった。

「バレエとか、ダンスの基礎とか、そういうものが(海外と比べて?)ちゃんとしていないと思う」だそう。
私自身、そんなに海外とか、まーヨーロッパとか?そういうところのダンスをよく知らない、みたことないっていうのもあるんだと思う。
でも、なんかそうやって比較して、優劣っていうか、そこでの優劣って違うんじゃないかなって思って。
いや、それは多分私の価値観なのかもしれないんだけど。

「「鍛えられた権威的な身体」に対して「だらしない身体」を撮影するという作品もあったけど、それを越えた今、そういう鍛錬されていない体での表現はどうなのか」、とかいう話もでたけど、なんかそういうことじゃないなーと思って。

「権威的」っていうのは、そういう体系を踏まえてそうじゃなきゃダメ!っていう態度がそうさせてると思う。もちろんそれに対する批判的な態度を表すのもおもしろいとおもうけど、そうじゃなくて。

たぶん、あまりにクリティカルなものにも抵抗があるんだと思う。
そういう態度が好きじゃないのかなぁ。

じゃぁなにがいいんさーとか思ったり。。

でも、ちょっと思ったのは、「幼稚化してる」んじゃなくて、無意識でも意識的でも、大人になるのを「拒否してる」んじゃないのかなって思った。

そういう「大人」ならならないよ、なれないし、なりたくもないよ、って。

でも、私たちも「大人」だよって。

まぁ私はなーんにもわかってないんだけど、そういう言い方って違うなって思ったのには何か思うところがあるんだろうなーとは感じていて。
私は、いったい、どういう視点で、ものをみているのか。

だって多分こういうことは、ダンスの話じゃなくても、いいはずで。

「こうじゃなきゃだめ!」ってのに抵抗があるんだろうねぇ。

でも、身体って興味あるなぁ。
わかる全ての感覚に興味があるな。
どこまでいけるか、感じられるのか。
そういう意味で、手塚さんの中央線インストラクションとか、すごくいい体験だったな。
気になる、体験だった。
どこかへ、いってしまう、とか、身体が交換される感じとか、集中することで、どこかが鋭敏になってどこかは全然感じなくなるとか。
うん。

あした、シャトーで世界装置の「おひさまとかいぶつ」をみる。

0 件のコメント:

コメントを投稿