2011年12月13日火曜日

キャラクターグッズの雑貨屋はだいたいチェックするほうです。

かわいくて使いやすい付箋をつい探してしまう。
シールとか、やたらめったらに貼ったりはしないけど(子どものころそれはあまりよくないと学習した)
やっぱりどこか貼るとこないかなー、かわいいのないかなーと探してしまう。

付箋は、内容とかそのときの気分とかで貼る。あまり柄がうるさいのは好きじゃない。
でもかわいいほうがいい。

ロール付箋は良いけど、持ち運んでいる間に取れてきてしまうのが難点。
というか、付箋って、カバンの中でだいたいバラバラになってるから困る。
この間買ったリラックマの付箋は、ちゃんと台紙を半分に折るとケース状になるつくりで良い。

そうですね、クマは多いです。
できればくまの学校がいいとか、ないとリラックマとか。

先日雑貨屋さんでムーミングッズをみたけど、ミー(?)ってちいさな女の子のキャラクターが結構たくさんグッズになっていた。
そういえば、小さい頃ミーが好きだったな、と忘れていたことを思い出した。
ミーの変なゴム人形みたいなのを持っていた。
みんなのこと大好きでさ、思っていることと反対のこと言っちゃったりするんだったかな。
あれはミーって日本語訳名だけど「Little My」ってグッズにたくさん書いてあったから英語ではそういう名前なんだろう。
「小さな私」

2011年12月9日金曜日

残念な体験

今日、図書館に行ったついでに、前から気になっていた向かいのカフェに入った。
年間10回くらいは前を通りかかることもあるように思うが、なかなか入る気にならないカフェだった。

前はギャラリーになっていて、クラフト作品の展示&販売をしていて、奥がカフェという形で、ギャラリーはおばさんがやっており、カフェは中年の男の人がやっていた。
親子かな?と思った。

二人の方針がきちんと話し合われていない感じがして、空間がうまくまわっていないと感じた。
空間を二つに分けて「ここからこっちはわたし」という運営だった。

このところ行ったことのないカフェなどに行ったりしていて、いつもおいしいなぁ、いいなぁと思っていたから、私にはあまり基準がなくて、だいたい良いって思うのかな、と感じていたけど、「だめなものはだめ」ということがわかった。
お陰で、どういうことを基準にみているか、ということがすこしわかった。

今回ベイクドチーズケーキを食べたのだけれど、これがおいしくなかった。
チーズの風味も広がらないし、甘みもそんなにない。クッキーが敷いてあるタイプだったけど、クッキーも味がない。もったりして胸焼けしそうになった。
対して付いていたアイスは甘すぎる。
残念だった。

個人のカフェでは、どんな本が置いてあるかをついみてしまうけれど、そのセレクトも店長の考えや趣味が行き届いているのが良いな、と思う。
今回行ったところはクラフト系のものと多摩の食事だったかな、そういうのが置いてあったけど、あれはギャラリー側の要請でこういうのがいいだろうって置いている感じがしてよくなかった。
理念ではなく考えなしに単に客におもねった態度は良くないし、バレる。

ギャラリー自体は悪くなかった。

しかし、残念な思いをしたことで、これまで行ったところはこういうところが良かったとか、考えるようになった。
ちゃんと整理してみようかなぁ。

良いと思うものは良いんだなぁ、やはり。

パン屋でチェックするのは、「店の雰囲気や設備」「粉だけでつくるパン」「調理パン」「甘いパン」だな、と思う。
カフェだともっと複雑だけど、そうやって総合的に判断している。

でもやっぱりお店は、人が大切だと感じる。
その場を作っている、動かしている人間が、どういうふうに場のことを考えてまわしているか。
それは繊細なコントロールだと思う。繊細でなくてはいけない。
コントロールしすぎている場所は窮屈だ。

でもたまには残念なのも良い。良いことが鮮明になる。
...そんなことじゃいけないか。わかっていなくては。精進精進

2011年12月4日日曜日

満足デー

昨日は社内ミーティングで江戸川橋に行った。
すごく久しぶりのミーティングだった。
気が向いたのと、モチベーションにもなるなと思ったので、羽鳥くんと岸井さんにプレゼントを買っていった。

冷え込んでから初めての外出だったこともあって、防寒に気を使った結果、二年ほどまえから持っていたけどあまり来ていなかったニットワンピと、三年前にさんざん着たきり着れてなかったニットコート、この間買ったヒートテックタイツ、やはり三年前に履き尽くしたきり履いていなかったブーツを使うことができた。
嬉しかった。
あと先日作ったニットショ—ルも合わせられた。
お気に入りだけどもう使えないかもしれないと思っていたものも多かったので、よかった。今年は使ってやれそう。

私には珍しく時間通りだった。ほんとうに13時ぴったり。いつもこれがいい。ぴったり。
でも誰もいなくて、岸井さん遅れてくるんだろうなと思ってたし、ちょっと商店街うろついた。
15分すぎたころ羽鳥くんに会えた。
久しぶりだった。

来ないね。と言って、なんとなく歩いた。
私はお腹もすいてなかったし、寒くもなかった。
この日の朝はホットケーキを三枚丁寧にやいて大満足だったからね。

何とはなしに楽しかった。

岸井さんが着いたというのでこどもkichiに向かって、ドアを開けたら、茶色のぼんぼんついたニット帽の岸井さんが現れてえええ!ってなって大笑いしてしまった。
森ガール度アップしてた。けどなにかがダメ感もアップしてた。

近くでランチ、プレゼントをふたりに渡した。岸井さん不器用すぎてストラップ破壊してた。。(ちゃんと直してたけど)
羽鳥くんには顔のよく似たトラのストラップをあげたけど、やっぱよく似てた〜
なんか服の感じもちょっと似てる気がした。間の抜けた風ふぁっしょん。
岸井さんの森ガール度があがりますように。

羽鳥くんの頼んだランチがいまいち?だったらしくて、格闘してたのがおもしろかった。
なんか、ふつうに始めたことが、いつの間にかたたかいになってることってあるよね。たたかいだよ。

途中までミーティングして、それからこどもkichiにもどってつづきをしたけど、すでにこどもが遊んでた。
わいのわいの。
そして寒い。寒いっていうか、冷えるって感じ。ひんやりとしていて外より寒い。

ミーティング終わって、時間と元気があれば毛糸を買いに行こうと思っていたので、それから新宿へ。
(池袋では大きい手芸屋さんがないといういことがわかってたので(昔はキンカ堂とか連れてかれたもんだけどなくなっちゃったんだよね。))

新宿の高島屋にユザワヤが入っている。別館には紀伊国屋も入ってるし、本も見よう、と思いながら、高島屋へ。
ユザワヤでだいぶ毛糸をみたものの、なかなか値段と質とほしいものと一致する毛糸がない。
かなり疲れてしまって、いちど休んでから、本屋に行こうと思った。
それでどこかカフェがないかと思っていたら、(だいたい各階一つずつくらいはカフェが入ってる)別館への連絡通路がある階にタカノフルーツパーラーが入っていたので、久しぶりにすごく行きたくなった。
よく池袋の西武でフルーツサンドウィッチを食べたもので、ほんとうにフルーツがおいしい。
それで、フルーツパーラーに一人で入って、いろいろ迷ったあげく、フルーツポンチを頼んだ。
それがまー美味。もうなんていうか、美味なわけで、二口くらい食べては「この世の終わりか!」と思うくらいに美味なわけで。
多分かなりいい具合に疲れてたとか、修論で追い詰められてるとか、気に入った服が着れてるとか、なんかいろいろな状態があったかもしれないのだけど、
にしても美味しすぎて。
恍惚感だと思う。こういうとき「終わりたい」と思うのだと思った。「死にたい」というか「世界よ終われ」みたいな感覚。
ドーパミンですぎですか、そうですか。

結局本も毛糸も買わずに帰った。楽しかった。
各駅停車で帰った。
足は痛かったけど、、そういえばあのブーツ、まだ祖母が生きていた頃に買ったのかもしれない。入院していた頃。そうするともう五、六年前ってことになるのか…早いな。
帰って編みかけの手袋を編んだ。あまり上手にはできなかったけれど、今日それが出来上がった。

祖母はよく手芸をする人だった。
少し、わかってきた。

2011年12月3日土曜日

夢の国2

カリブの海賊からみえるレストラン、ブルーバイユー。
いままで行ったことがなかったので、今回は行こうと決めて行った。
昔、カリブの海賊からみていて、あのレストランはセットだと思っていたので、実は普通に入れるレストランだと知った時は驚いた。

カリブの海賊の船が通るところがみえる、水際の席はプライオリティシーティングでないとなかなかとれないみたいだった。
「ここから先は夜となりますので、足元お気をつけ下さい」と言われて、入店。
ただ薄暗いレストランというだけじゃなくて、確かにカリブの海賊の部分は「夜」で、星が出て蛍が飛んでいる。船に乗っている時は気付かなかったけれど、月に群雲で満月が出ていた。
次から次へとお客さんを乗せた船が流れて行った。それをついついみてしまうが、よくできていて、目を凝らしても顔まではみえない。
向こう側からみたときもそうで、レストランのお客さんの顔はみえず、シルエットのような状態になっている。
レストランの部分だけがぼうっと明るく、船のところまでは明が届かないようになっているからで、これはアトラクションとしては、「あのあたたかな光と自分たちは違うところに来ているんだ」と感じさせてこれからの物語への導入という効果があると思う。
レストランからみていると、船に乗っているお客さんからみられているような気はしないものの、「あちらの物語に登場しているんだろうなぁ」という気分は味わえる。
そして流れて行く船を何艘もみながら、いったいみているのかみられているのか、という気持ちになる。
よく動物園では実は動物をみているのではなくて、動物側も人間をみているとか言うけれど、お互いに人間でどっちの側にもなることができるのはおもしろいと思う。

レストランに行く前にカリブの海賊にも乗ったんだけれど、わたしはパイレーツオブカリビアン仕様になってからつまらなくなったと感じている。
確かに、ずっと同じでマンネリ化するのもよくないのはわかるし、まぁどうせあれでしょ、と思って乗っているところもあるから、新しくなるのはそれなりにわくわくするんだけれども、
つまらなくなってしまってはなぁと思う。
わたしがパイレーツオブカリビアンをみていないのもあるかもしれないけど、ジャックに頼りすぎ感は否めないし、ジャックは海賊の中でも異質という前提があるから、登場人物の属性や物語が複雑になってしまっていて、それがちゃんと落とし込みきれてない感じがする。前のほうが全体として整合性が取れていたし、それでいてきちんと愉快で、海賊の怖い部分と陽気な暮らしを上手に描いてたと思う。当たり前のようにちゃんとおもしろくて、それ以上の興奮はないんだけど、終わったあと「あーおもしろかった」と普通に言えるような感じ。
とかなんとか言いながら、カリブの海賊にそんなに愛着はない。

もうわりとディズニーランドの乗り物は乗り尽くしているので、季節ものについ惹かれてしまったりする。
ホーンテッドマンションはそういう意味じゃものすごく上手くいっていると思う。
ジャック(…あ、こっちもジャックか。)がハロウィンとクリスマスを一緒にしようと考えた、という設定で、ハロウィンからクリスマスまでが同じセットなのだけど、お祭り感満点でナイトメアビフォアクリスマスをみていなくても楽しめる。(ちなみにわたしはこちらもみていない。)
ホーンテッドマンションもこの時ばかりはお化け屋敷のこわ〜い雰囲気ではなく、愉快でかわいい。
そういえばもう長いこと普通のほうに乗っていない気がする…。(実は昔、怖くて目が開けませんでした。)
「生きているならてきぱきと!」

怖いといえば、シンデレラ城で昔やってたドラゴン退治はもう復活しないのかな。わたしあれ好きだった。
小学生のころ友達と一緒に行って、怖くて手つないで歩いた記憶がある。普通に城内案内してたら…!みたいな趣向もよかったんだけどなぁ。
わざとらしいおにいさんおねえさんが大好きです。

そういやカヌーには二回しか乗ったことないけど、あれは無駄にテンション上げないといけないアトラクションで苦手。
うちにはカヌーに乗る文化はなかったけど、高校のときに一緒に行った生徒会長のうちでは必ず乗るらしかった。そんな家族の文化があったりなかったり。

東京ディズニーランドができたのはたしか1983年で、まだ28年しか経っていない。
物心のつく前から私はディズニーランドに行っていたし、ディズニーランドは既に確固としてあった。
しかし大人たちにとってはどういう存在なんだろうか。どういうものとしてみているんだろう。
まーでも、ものすごい好きな人もいるし。全然いかない人もいるし。好きな人、嫌いな人、興味のない人、いるだろうね。
住んでいる場所によってだいぶ感じかたは違うだろうなとも思う。
そう何度も何度も小さい頃から連れて行かれた、なんていうのは、そんなに一般的なことでもないよ、と一応自分に言っておく。
しかし、私のような子どもがいくらもいるだろうといういことも、頭に入れておく。幼少期から成育過程、現在までを通した体験に既になってしまっている。

昔話は紐解いたら長くなるから、また、いつかどこか、時がくるまで閉じておく。

2011年12月2日金曜日

夢の国1

ディズニーランドに行ってきたんだけども、やはりどこかやられたな、という感じがする。
帰ってくるときにはものすごく頭が痛くて、大変だった。
楽しくはあった。

真剣に向き合えば、あまりにも情報が多すぎる。
しかし楽しむもんは楽しまなきゃならない。

というか、やはりディズニーランドはすごかった。
それで、ちゃんと流すためにここに書くことにした。流さないと、まだからだのどこかが痛む。

私はアトラクションだったら白雪姫がけっこう好き。ていうかツボ。
もう笑えるっていうかすごい。
擬音?で言ったら、
「がーん!がーん!がーん!がーん!どーん!」っていう感じ
最後、魔女に石を落とされそうになって戻ってくる。
そこでお姉さんが「おかえりなさーい!大丈夫だったー?」っていう。
シュール〜
はじめから怖い感じで、怖→怖→怖→楽→怖→怖→怖
という謎展開。
だいたい、あの怖い感じの老婆に変身した方の魔女(女王)が登場しすぎてウケる。
これはねー、乗り物乗るだけでもまー楽しめるんだけど、最後のお姉さんの出来が良いとさらに楽しい。
しかもけっこうなハイスピードだから、受けたイメージをはっきりと認識して文脈とかを考える間もなく、どんどんイメージだけを与えられる。そういうやり方って、なんなんだろう。ちょっと洗脳ぽい感じもあるかもしれないと思う。
多分これがよくわからなくて、気になってしまうのかもしれない。
下手なハッピーエンドにしてないのもいいね。

そういやピノキオってのはどうだったか、と思って乗ったんだけど、乗り物のつくりは白雪姫と同じで、展開としては、最後「おじいさんと暮らしてよかったね」という終わりかただった。これはまだわかる感じがしたけど、ピノキオの鼻はいつ伸びたんだかわからずじまいだった。

私はあと、カントリーベアシアターをだいたいチェックしに行く。
あれはなんかもうすごいよね。
機械のためにみんなでする手拍子とか、気が狂ってるとしか思えないしww
あのショウの形ってよくできてるよね。ショウなんでしょう。
今回、最後の回みたけど、なかのキャストのひとの棒読みハンパなかった。手拍子もなんか投げやりだった。。キャストも機械にならなきゃやりきれないね。

そのあとジャングルクルーズにのったけど、こっちの見せ物はお客さんとのやりとりあるし、船長さんの演出で体験としてクオリティが多少変わるから、人がやってる意味ある。
今回の人はまだへたぴっぴーだったけど。
だじゃれとかギャグのネタ、前も聞いたことあるな、とか、いつもと違うこという人がいたりとか、いろんな演出があっておもしろいけど、こういうのの共有って船長さん同士どうやってしてるんだろうと思った。先輩後輩とかあるのかねー、マニュアルはどうなってんだろ。

ただ、ここは夢の国、キャストに人生はない。

ミッキーの家の中のキャスト二人、世間話していたけど、「だれそれが海外に行くらしい」「いくらかかるらしい」とかいう結構現実的な話をしていて、それは明らかに夢の国の世間話ではなくて、日本社会の世間話だから、夢の国のキャストとしては私語ってことになるなぁと思った。

気が狂っている。

ブルーバイユー、入店時、「ここから先は夜となりますので」、なんという言葉か。

2011年11月19日土曜日

編み物の記憶/視覚と身体の記憶

最近、編み物をしている。
一昨年くらいにいちど、少しやっていたことがあるのだけれど、それほど上達もしないまま
飽きてしまった。
ただ、私には、編み物に対する憧憬に似たような良いイメージがあった。
そして、今年、再び編み物をしたくなった。

母は今でこそやらないが、かつてはよく編み物をしていたそうだ。
実際、裁縫箱の中にやたらかぎ針が入っていたりする。
そのことは知識として知っていたが、私の記憶には母が編み物をしていたという覚えはなく、どんなものを作っていたかも覚えていなかった。
たしか中学生くらいのときに、母が編み物をできると知って驚いたような記憶がある。

ただ私の中には、上達した人の慣れた棒針の動きは美しく感じ、好きだ、という漠然としたイメージがあった。
そのイメージを追いかけて、私は編み物をしたいと思うのだと、感じていた。

今はひたすら縄編みをしている。
特別つっかかることもなく、少し無意識になったりするくらいには編めるようになっている。
そうすると動きは無駄なくなってきて、す、と当たり前のように知っているかのように動くときがある。
それで、思い出した。
これは、母の動きだと。
私は、確かに、みていた。母が編み物をするのを。
少しずつ、記憶が再生されるのを感じた。
一段編み終わった後、針を変える時のやりかたや、編んだ目をとる時の動作とか。

表に編んでいる時のほうが針が速く動いておもしろかったり、糸が針のおしりの方にくるくるからまっていったりとかする様子を、私はみていた。
この間、一つ思い出したのは、「なんでこっちの方が遅いの」と聞いたことがあるということ。
多分、メリヤス編みで一段ずつ表、裏、表、裏、と編んでいて、裏に編む方が少し時間がかかるから、そういうことを言ったんだろう。
表は「さっさっさっ」って感じで、それも良かったけれど、確か裏のときは「さっささ、さっささ、」とかリズミカルで好きだったような気がする。これは今書いていて思い出したことだけれど。

私はみていた。やったことはない。
それでも遠い記憶の体の動きを勝手にミラーリングしていたような状態にあって、
体がその記憶に近づいたとき、他の記憶も甦ってきた。おもしろい体験だった。
こういうことは、料理にもあるけれど、いまでも母はたまに料理くらいはするし、ちゃんと記憶にあって知っていることだから、と思っていた。もちろんふとやった動作が昔みたあれだ、と気付いて驚くことなんてよくあるが。

みていて覚えるようにできている。
ある意味刷り込まれている。

まさか約20年前の、物心着かない自分の、忘れ去っていた記憶にふれられるなんて、思っていなかった。それも頭からでなく体から。

よい体をもったお母さんになりたい。
お父さんも、よい体をもった人であってほしい。

...なんて憧れを自分がもっているなんて、あらわになると恥ずかしいな、やっぱり。

今だっていい人にかこまれていた方がいいに決まっている。
職人の修行に大人になってから入った人より、職人の子どもの方が修行を始めた年齢が同じでも良くできるとか、そういうのってあるんだろうね。

あれはあのときのあれ。

2011年11月16日水曜日

書く。

論文は、わたしの言葉のはずなのに、言葉まで気遣うことができなくて、
考えのあらかたはわたしのものであるように書けているのに、
言葉はほとんどずっとわたしのものではないよう。
なぜ、そんなに、むりやりにと思う。
それでもほんとうにほんとうに、苦しくつらいものをやらなければと思えるのは、
立ち向かっているのは、すべて、
寝食程度のことと編み物ばかりをして、ちいさくちいさく生活することができる、
この幸せな状況のお陰で、
わたしは、どうしようもない。

それでもこの先ほとんど、そういう小さい生活もめちゃめちゃなリズムにするくらいの、
書くモードに、入っていく。
入っていける。