2011年12月9日金曜日

残念な体験

今日、図書館に行ったついでに、前から気になっていた向かいのカフェに入った。
年間10回くらいは前を通りかかることもあるように思うが、なかなか入る気にならないカフェだった。

前はギャラリーになっていて、クラフト作品の展示&販売をしていて、奥がカフェという形で、ギャラリーはおばさんがやっており、カフェは中年の男の人がやっていた。
親子かな?と思った。

二人の方針がきちんと話し合われていない感じがして、空間がうまくまわっていないと感じた。
空間を二つに分けて「ここからこっちはわたし」という運営だった。

このところ行ったことのないカフェなどに行ったりしていて、いつもおいしいなぁ、いいなぁと思っていたから、私にはあまり基準がなくて、だいたい良いって思うのかな、と感じていたけど、「だめなものはだめ」ということがわかった。
お陰で、どういうことを基準にみているか、ということがすこしわかった。

今回ベイクドチーズケーキを食べたのだけれど、これがおいしくなかった。
チーズの風味も広がらないし、甘みもそんなにない。クッキーが敷いてあるタイプだったけど、クッキーも味がない。もったりして胸焼けしそうになった。
対して付いていたアイスは甘すぎる。
残念だった。

個人のカフェでは、どんな本が置いてあるかをついみてしまうけれど、そのセレクトも店長の考えや趣味が行き届いているのが良いな、と思う。
今回行ったところはクラフト系のものと多摩の食事だったかな、そういうのが置いてあったけど、あれはギャラリー側の要請でこういうのがいいだろうって置いている感じがしてよくなかった。
理念ではなく考えなしに単に客におもねった態度は良くないし、バレる。

ギャラリー自体は悪くなかった。

しかし、残念な思いをしたことで、これまで行ったところはこういうところが良かったとか、考えるようになった。
ちゃんと整理してみようかなぁ。

良いと思うものは良いんだなぁ、やはり。

パン屋でチェックするのは、「店の雰囲気や設備」「粉だけでつくるパン」「調理パン」「甘いパン」だな、と思う。
カフェだともっと複雑だけど、そうやって総合的に判断している。

でもやっぱりお店は、人が大切だと感じる。
その場を作っている、動かしている人間が、どういうふうに場のことを考えてまわしているか。
それは繊細なコントロールだと思う。繊細でなくてはいけない。
コントロールしすぎている場所は窮屈だ。

でもたまには残念なのも良い。良いことが鮮明になる。
...そんなことじゃいけないか。わかっていなくては。精進精進

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