2011年12月15日木曜日

ぼえ〜

星をみながらぼんやりしていました。今夜はふたご座流星群だというので、ベランダに出たり入ったりしながら。
この間の月食のときも、みていました。月食は月が暗くなっていく過程をみるので、ずっと対象をみている状態だけれど、流星という対象は一瞬しか現れないので、目を開けて何をみるとでもなくぼんやりしている状態のほうが多いなと思いました。見方が全然違うのだなぁと。

星が、ぽろ、ぽろ、と落ちて、泣いているみたいだなと、ぼんやり思いました。

なぜ夜空をみようと今年は思っているのだろうと、不思議に思います。
周りの人が騒がしく言うようなことにはあまり興味がなく、ちゃんと流星をみられたのは小学生のときに無理に起こされて連れて行かれた以来かもしれません。それは今では連れて行かれてよかったと思っています。
よく聞いたことのない流星群が「今日ある」と知ると、ふと、高校生の時に
「今日は〜流星群があるから明け方まで玄関先で自転車に乗って、門のブロックに頭を乗せてみる」
と話してくれた人のことを思い出します。
その時私は引きました。聞いたこともない流星群を知っていること、それを一晩中みることに。
今思えば、やはりとてもいい人だったように思います。おもしろい人だったと思います。
今会ったら楽しそうだなぁと思いつつ、いまもおもしろい人でいるかはわからないな、と思いました。もうきっと会うことはないだろうと思います。
ただ、もっといろんなおもしろい人にこれからも会いたいなぁとぼんやり思いました。
去年も今年も、おもしろい人にたくさん会えてほんとうに良かった。
来年はどうなるんだろうな、とぼんやり考えながら、星が、ぽろりと落ちていくのをみて、そうやってぼんやりしながら、気がついたら涙が出ていました。

欲が深いのだなと思いました。
月食の時も流星の時も、欲の深い愉しみだと思いました。
佐野洋子さんが『神も仏もありませぬ』のなかで、「着物が欲しいということは洋服よりもとても深い欲らしい」というようなことを書いていらっしゃいました。
着物はいろいろなアイテムがあって、この着物だったらこの帯、だったらこの帯締めで、帯留めで衿はどれが良いかしら...と。そして着るまで。
一瞬の満足を得ようとすることは、現代社会ではかなり容易でしょう。それよりも、時間がかかる、手間がかかる、その次がある、そんな欲望は、とても深いものではないかしら。

世の中で「趣味」と呼ばれているものは、そんな深い欲望がつくっているのかもしれないなと思いながら、宇宙は遠いなぁと思った夜でした。ふん

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