2011年1月17日月曜日

きのうときょうと

抽象的な文章ばっかり書いていても仕方ないので、
感想でも書こうと思う。

昨日は、blanclassでけのびとdracomをみてきた。
けのび「等々力」は、進んでると聞いていたけど、前にみたときよりかなり進んでた。
1部、タイミングがあっていなくて、言葉が響きあっていなかったのは残念で、ここの慎重さは前回のほうがあった気がした。
2、3部があるからかこの時間はもう、あまり重要視されてない感じもして、だとしても、やっぱり観てる側が引っぱられるのはこの時間なんじゃないか、と思う。
まあ実践はしなくてもいいとしても。
後半は、、う〜ん。。2回くらい?ちょっと、え〜、って思ったかな。
みんな舞台に立っている人たちだし、実際舞台だしねぇ。。
。。

dracom「gallery」は、まぁまぁおもしろかった。
でも途中で飽きた。
そういえば客席みたいなところに座って演劇みたいなものをみるのはかなり久しぶりだと思った。何年か前の歌舞伎以来?かも 笑
ダンスはみてたけど演劇はみてなかったな。
なんだろう、ぜんぜんいいんだけど、「もういいよ!」って気持ちになった。
なんでこんなに嫌いなんだろう。演劇。
「怒っている人」とか「寝てる人」とかなんだろう、そういう状態を演技するっていうアイデアが、嫌い?かも。
「演技」が嫌?
なんだろうか。マジじゃないと嫌なのかなーやっぱり。


今日は、マルゴーでした。
二人でやってみるというテーマだったので、どうやって関わろうかというところがやっぱりポイントになっていたと思う。
二人というのは、ひとりとひとりという関係になるから、互いの要素を考えざるを得ない。
イメージをどう共有するかとか、共有しなかったらどうやって関われるか、とかそういうことが行われていたと思う。
ひとりでやっているときより、すこしわかりやすかった気がする。
二人の人間の間で少なくとも少しはアイデアがわかる状態でないと開始できないからかな、と思う。
そういう意味では、村井さんのはわけわからなさはすごかった。意図してなっていると思うのだけど、まったくわかりあわないで行こうというところから出発しているのが影響しているんだろう。
やっぱり、人が二人いたら、とりあえず向かい合ってなにかわかってみようとしてしまうんだろうから、その前提は面白いよなぁ。
それでも、わかりあおうとしてわかりあえないところでがんばっているところをやろうとするのは好きだ。
わかろうとすること、わからなくても関われること、これは同時に起こっていいと思っていて、「わかろうわかろう」という努力はしながら、わからなくてもそれが決定的な関係の断絶にはならない状態が維持される人の関係づくりができたらいいなぁと思う。
私は、このアイデアのことを結構ずっと考えているけれど、いまのところ、「優しさ」というキーワードがひとつあがっている。
そんな甘っちょろいことばかりじゃないよ、それは理想論だよ、といわれそうなので、というか自分でもなんとなくそう思っているんだけど、もう少し考えてみる必要がありそう。

人と人が繋がっていくのはいいなぁ、良かったなぁとか思う。
希望も持てたし、これまでのことに感慨深くもなった。
シャトーの皆にも感謝。
ありがとう。

せいらちゃんからチェルフィッチュのDVDかりたから、観てみよう。
良い日々です。ありがたい。

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